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梟が乞うた夕闇
【鬼畜 官能小説】

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 近くに聳える壁面の巨大なサラブレッドに踏み潰されそうなほど小さな雑居ビルに入った。住所を聞いて、それなりに猥雑なイメージを持ってやってきたが、錦糸町の中でも輪をかけて猥雑ぶりが集中している界隈にある、やたら古くて細長いビルだった。
 頼りなく昇ったエレベーターを降りると「国際情勢調査機構」と掲げられているドアが一つ。ノックをして暫く待ったが音沙汰がない。陽介は暫く待っても静寂が続いたから、失礼します、と意を決して中へと入った。
 入ってすぐのところに小さなカウンターが置かれていた。受付、とプレートに書いてある。迎えたのは美しい受付嬢ではなく、タブロイド新聞を読んでいた老人だった。唇を半開きにして、鼻先にまでズリ下げた老眼鏡の上縁から陽介を見上げていた。
「本日付でこちらに配属になりました、藤田陽介です」
 一応敬礼をしたが、老人は暫く不動だった。まるで陽介が見えていないかの如くの老人を、齢相応に耳が遠いのかと思い、今一度声を張って繰り返そうとすると、
「来やしたよ」
 陽介を見つめたまま独白するように背後へ向かって言った。衝立の磨りガラスに影が映る。
 こんな殺風景なビルの一室に凡そ相応しくない美女に息を呑んでいた陽介を、深雪はパンを片手に艶のある唇を蠢かし、目を細めて暫く値踏みしていた。やがてもう一方の手に持っていたコーヒーで咀嚼物を胃に落としこむと、そのままツカツカと陽介の正面まで進んできた。
 近い。少し背伸びをしてほんの十センチほどの距離まで顔を近づけ、じっと覗きこまれる。
 陽介は黙って動かなかった――動けなかった。間近で見る深雪は、陶然と見惚れるというより、彼女の許可が下りなければ決して動いてはならない、そんな強迫にすら駆られる美しさだった。
「……何人ヤッたの?」
 見据えていた深雪が唐突に問う。
「は?」
「人、殺したことあるでしょ?」
 陽介は深雪から目を逸らさなかった。ずっと近くで見つめていたい気分に支配されていたことが一つ、そしてこの質問に目を逸らして答えてはいけないという警鐘が聞こえたことがもう一つの理由だった。
「ありませんよ。ずっと事務方だったんですから」
「ウソ」
 深雪がネクタイを強く引き、更に顔を近づけた。「目、見たら分かるんだよね。ああ、コイツかなりの人数殺っちゃってんなぁ、って。……ま、いいや。エリートが左遷されて来るって聞いてたから、どんなオボッチャマが来んのかって心配してたんだけど、マシそうなのが来てくれて安心した」
 抛つようにネクタイを離した深雪は回れ右をして背中を見せると、残っていたパンを大口を開けて放り込む顔は見せず、腕だけを差し伸ばして中に置かれていた椅子を指した。座台が毛羽立って中のスポンジが飛び出しているパイプ椅子。座れということか。
「エリートなんかじゃないです」
 コレに座るほうが楽じゃないよな。声に出さず文句を言うことで早まっていた鼓動を抑え、開いても傾いているから無理な姿勢を強いられそうな椅子に座った。「それに、左遷でもないですよ」
「左遷された奴が、『自分は左遷されてないですよ』って言うの超カッコ悪い」
 コーヒーを紙コップに注いで陽介に手渡した深雪は、リクライニングの利いた革椅子を引き寄せて座った。正面に座った深雪が脚を組むと、その美脚ぶりに目の遣り場に困って、陽介は両手で包むように持ったコーヒーの水面へと視線を落とした。
 クスリと深雪が息を漏らした。すぐに言い返せない自分の様子を笑ったのだろうか。あるいは美しい脚に再び動悸したことを見抜いて侮っているのだろうか。吐息は余裕ぶった憫笑を含んでいた。
「あんたがどう思ってようが、はたから見たらモロ左遷じゃん?」
「いえ、ここは内閣官房から密命を受ける特務機関でしょ? 閑職なんかじゃないですよ」
「こうやってさ、昼間っからコーヒー飲みながらネットショッピングして……」
 深雪は肘掛けに両手を置いたまま革椅子を巡らせ、「そんでもって、受付のジイさんはエロ記事満載の新聞なんて読んじゃってるし。どう見たってヒマしてるんだけど?」
 老人はこちらの会話を意に介さず、新聞を読み続けていた。確かに遠目からでも見える女の裸と、下世話な文言の見出しは、国家の安全には何ら関わりがなさそうだ。
「あの方が理事長ですか?」


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