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梟が乞うた夕闇
【鬼畜 官能小説】

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 そう言った深雪は陽介のジャケットを両手で握りしめて体を預けた。密してきた深雪は身震いしそうなほどの麗しい感触だった。向こうに香菜子の横たわる姿が見えて心苦しかったが、ワイシャツに熱い雫が染み込んでくると、陽介は腰に手を回し、もう一方は頭に添えた。
「……触んなっつった」
「必要以上にでしょ? 必要だからですよ」
 固かった肩の力が徐々に抜けていった。鼻を啜っているのは室内の冷温のせいではない。
 ――深雪は別れ際、この事件の首謀者を挙げるよう命令がきていると告げた。他の事案は全て置いて、専従せよとのことだ。
 自宅の玄関をくぐると、永年務めて我が息子のように扱ってくれている家政婦が、おかえりなさいませ、お疲れになったでしょう、ご飯用意してございますよ、と恭しくも続けざまに言った。毎日のことだが、ありがとう、としっかり礼を言うと、老婆は心底嬉しそうに、陽介へ深々としたお辞儀をしてくるのだった。
「ただいま」
 リビングに入ると隆行が晩酌をしていた。
 ……疲れた。初めて、あんなにも深雪に密接することができたのに、身に澱む倦怠は一度座ったらもう暫くは立ち上がりたくないと思わせるのに十分だった。
 老婆が箸置きの前に煮物を置く。作り置いてレンジで温めなおす、そんな手抜きはしない。小鉢を突ついて待っている間に、いつも出際よくできたてを供してくれる。
 だが倦怠によって食欲は奪われていた。
「ごめん、今日はちょっと食べられそうにないんだ。悪いけど、軽めにしてくれないかな?」
 背凭れにしなだれてネクタイを緩めつつ、頷いてからキッチンへと向かう老婆の背中へ、「用意していてくれた分は、明日弁当で持っていくから作ってくれる?」
 そう付け加えた。内心はがっかりしていた老婆の背中が、その一言で晴れやかに踊った。
「一緒にやられますか?」
 ロックグラスを手のひらで指し示した隆行へ首を振った。
 それから隆行がずっと口元に蓄えた白髪混じりの髭を爪で掻き、グラスを舐めないでいるから苦笑して、別に気にせずやっていいよ、と勧めてやる。
「……どうでしたか?」
 陽介に勧められては応えないほうがむしろ失礼だと思ったのだろう、隆行は僅かに含んで喉を潤してから問うた。
「ん。……まぁ、思ってたより綺麗な死に顔だった」
 陽介の沈鬱の理由にとっくに気づいていた隆行は、深く頷いたただけだった。
 そんなことを聞きたいのではないだろう。
 陽介は息をついて身を起こすとテーブルに両肘をつき、老婆の絶妙な味付けが幾ばくかは体を癒してくれることに感謝しつつ、箸で南瓜を割った。
「……官房から命令が下ったそうだ」
「衛藤さんにですか」
 割った南瓜の深緑の皮を箸先で突いていた陽介は、間を置いた後、隆行を見た。
「そうだよ」
「お望みが叶って良かったじゃないですか」
「お前は反対だったろ?」
「危険な所には行って欲しくありませんからね」
 教科書通りの返事だ――、父親として。
「深雪さんが考えてるのは『捜査』なんかじゃない、『殲滅』だよ。あの人は本気で潰しにいくと思う」
「なおさら危険ですね」
「……だね。代わりの息子を探しておいたほうがいい」
「あなたの代わりなんていませんよ」
 老婆が焼き魚を運んできた。即座に味付けを調整したのだろう、強いと困るが無ければ寂しい、そして今の陽介にとっては胸の中に落とすにはちょうど良い塩辛さだった。
「……藤倉を救ってやれなかった」
「崇師」
 隆行は一度グラスを置いたまま、手には取ってはいなかった。背筋を伸ばし、目を逸らす陽介を摯実に見つめる。
「あなたの代わりはいません。藤倉さんは本当に、お気の毒でした。しかし崇師が負われている神命のためには、致し方がなかったのです。あなたがいなければ生きていけぬ者が何人もいます」
「わかってる」
「私もです」
「……わかってるって」
 そう言う他ない。
 崇師としてではなく惚れてくれた女を、崇師として殺してしまった。聖なる生贄にしては、香菜子は霊威に満ちすぎていた。だから自ら讐敵に潜み入って出会った聖女を初めて抱きしめたのに、勃起は興らなかったのだ。尊い犠牲を強いた香菜子の前で深雪の涙は見たくはなかった。
 陽介は箸を置き、感触の残る手のひらを握っては開いた。



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