投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

『秘館物語』
【SM 官能小説】

『秘館物語』の最初へ 『秘館物語』 15 『秘館物語』 17 『秘館物語』の最後へ

『秘館物語』-16

「あのフィルムは」
 碧の言葉だ。長いキスの後、やはり浩志はその先へ進めず、取りあえず碧と話をすることにした。
 彼女に椅子を渡し、自分はベッドに腰掛ける。沈黙が降りたまま気まずい時間をしばらく過ごして、浩志は思い切ってフィルムのことを尋ねたのだ。
「旦那様の、“優しさ”なのです」
「?」
 わからないことをいう。あの中で演じられていた痴態はとても、好意的な感情を抱かせる内容ではない。
「お気づきでは、ありませんでしたか?」
「なにを」
「女の人たちが、みな、満たされた表情をしていることに」
「………」
 確かにそうだ。
 口では恥じらいや汚辱を叫びながらも、その瞳にはなにか飢えを満たされているような輝きを見せていた。“愛”というにはあまりにも倒錯しているが、あえて言葉で表現しようとするならばそれ以外に当てはまりそうもない。
「最初の女の人は、詳しい事情は分かりませんが、旦那様に命を助けられた方だそうです。望さんも、酷い絶望の淵から旦那様に救われたと仰っていました。だからこそ、望んで旦那様に身体を捧げたんだと思います。……そして、私もそれは同じです」
「………」
 浩志の胸に降りる黒いもの。唇の感触が、やけにざらついたものに変化する。
「あの……フィルムは全部ご覧になりました?」
 黙って首を振った。
「碧さんが出てきた瞬間、止めた」
 そして投げつけるように、言う。
「そうなのですか? じゃあ、見ていないのですね」
「………」
「私の身体に刻まれているものを」
「な?」
 不意に碧が、胸元に両手を添えた。そして、中央に居並ぶボタンを次々と外していく。なんの躊躇いもなく、彼女は上着を脱ごうとしているのだ。
「!?」
 先ほどから碧の行動に翻弄されっぱなしである。
「私は、あなたに全てを見てもらいたいの」
「碧さん……」
「私の全て……これが、そう」
 ば、と勢いよく上着は両側に開け放たれた。柔らかそうな双房がその薄桃色の頂点を晒したまま、ふるりと揺れる。
(ブラ……)
 を、していなかった。とにかくそこに目が行ったのは、明らかに男の業。誰が浩志を責められよう。
(!?)
 しかし次いで目に入ってきた光景に、甘い幻想は吹き飛んだ。
 双房の中央から下腹に向かって走るように、生々しい一筋の傷跡が、碧の繊細な肌に刻み込まれていたのだ。
「そ、それ……」
 肉を削ぎ落とした後、その縫い口から盛り上がってくるように再生したと思しき傷跡の禍々しさ。碧の美しさから想像もつかない、女性の身体に刻まれたものにしてはあまりにも残酷な傷。
「昔、事故で大怪我をしました」
「………」
「幸い、命をとりとめはしましたが、こんなふうに傷が残ってしまったんです」
「………」
「思春期でもあった頃なので、私は随分とこの傷を呪いました」
「………」
「同時に、女性としての自信を失いました。でも、それ以上に苦しかったのは」
「………」
「憐憫の目、でした」
 碧の話は続く。もともと附属女学校の生徒だった彼女は、およそ男関係と無縁の生活を送ってきたわけだが、やはりそれ相応の憧れはあったわけで、女友達同士の他愛もない話に好んで輪に入ることもあった。
 それが、この傷を身に負ってからは、友達もそんな話は碧の前でしなくなった。それは、彼女たちの優しさであったのだろうが、碧は反対にその事実が女として大きな絶望を伴うものだと言うことに気づき、暗い気持ちを抱くようになった。
「お父さんも、心配してくれました。でも私は、その心遣いにさえ嫌悪を抱いてしまったんです」
 そのために、周囲もうらやむほどに仲の良かった親子関係は微妙な冷えを見せ始めた。
「……お父さんが亡くなってから、私は自分の愚かさに気づきました」
 冷えが修復されないまま、急逝してしまった父。いったい、どれほどの無念と心細さを抱えながら逝っただろう。
 それを思うたびに、碧はますます刻まれた傷への呪縛に捕らわれていったという。それこそ、道行く人の視線が全て自分を哀れんでいると思ってしまうほどに。


『秘館物語』の最初へ 『秘館物語』 15 『秘館物語』 17 『秘館物語』の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前