玖-2
「大きな戦ともなれば、豊臣方は兵力が入り用になる。だが、武家の棟梁たる立場の征夷大将軍に楯突いてまで秀頼に味方する大名は、まずおるまい。となれば、関ヶ原以降、凋落した領主、雌伏しておる勢力に声を掛けるしかないのだ、大坂方は」
「まさに、真田がそれですな」
「そうじゃ。必ずやわしに声が掛かる。そうなるように日々、手も打っておる」
「真田傀儡一座による当家の喧伝もその一環。大助様も裏方でご活躍ですな」
「さよう。……戦に勝つには困難を極めるであろうが、『変』に乗じて家康の首をとること叶えば、形勢は大きく変わる。徳川方は雪崩を打って敗走する。そして、豊臣家の威信は回復し、真田も旧領に復することが出来る。それどころか、父、昌幸の宿願であった信濃・甲斐の大領主になることも夢ではないのじゃ」
ここまで言って幸村は高揚した自分に気づき、面映ゆそうな表情を息子に見せた。鎌之助はそんな主君を好ましげに見やり、時節到来の折には粉骨細心して事に当たろうと、心に誓うのであった。
それから二年の歳月が流れ、慶長十八(1613)年。
高坂八魔多の隠れ家で狐狸婆が薬酒を舐めるように飲みながら談笑していた。
「一昨年の清正殺しに続き、輝政と幸長、見事に片付けたな。さすがは八魔多、大したものじゃ。これで秀頼に加勢する主立った大名はいなくなった」
「加藤清正は手練れに急襲させ、殺すことが出来た。姫路城主、池田輝政は寝込みを襲わせ闇に葬った。だがなあ……」八魔多は酒を一気に呷ってから渋い顔で言った。「紀州藩主、浅野幸長はやたらに用心深く、お婆の手を借りなければならなかった」
「碧玉(へきぎょく)が役に立ったようでよかったわい」
「碧玉とはあれだろう? 九度山に遣(や)ったきり帰ってこなかった紅玉の姉」
「そうじゃよ。真田に殺されたであろう紅玉はなかなかのくノ一であったが、その姉の碧玉はもっと凄腕。色香もむせかえるほど。幸長のもとに側女として送り込むと、ひと目で気に入られ、毎夜のごとく閨へ呼ばれた」
「碧玉の閨房術はよほどのものであろうが、お婆の淫薬も持たせたのか?」
「ああ。通芯丸と帆柱丸をな。碧玉はそれを口移しに幸長に飲ませて交情に及び、ひと晩に幾度も吐精させた」
「それが度重なり、荒淫のあげく、幸長は腎虚で衰弱し、それでも碧玉を求めた結果、ついに命を落とした、というわけか」
「衰弱だけで人が死ぬわけはなかろう。幸長がかなり弱ってきた隙を見計らい、極細の長い針で首の急所を刺し、殺めたのよ」
「恐い女だな、碧玉は。しかし、むせかえるほどの色香とは……。一度会ってみたいものだな」
「会ってどうする?」
「もちろん、まぐわう」
「……八魔多。おぬし、先日、魔羅をいじったと聞いたが、その効果のほどを試そうというのじゃろう?」
「さすがはお婆、耳が早いのう。魔羅に真珠を埋め込んだ。見てみるか?」
「見たくもないが、話の種じゃ、拝ませてもらおうかの」
八魔多はフンと鼻を鳴らすと、着物の前を割り、下帯をずらして一物をデロリとさらけ出した。
「ほう。なるほどのう。亀頭の少し下に真珠をグルリと埋め込んだか。……さながらカリが二段あるようじゃ」
「この二段構えを碧玉に馳走してやろう。明晩でも呼んでくれ」
「ただでは碧玉を貸せんのう」
「なんだと? いくらぼったくるつもりだ」
「金ではないわ。……来年、豊臣秀頼の手により方広寺で大仏開眼供養会が執り行われる。立派な梵鐘も出来上がる。その折、鐘の銘に細工させるゆえ騒動が持ち上がる」
「鐘の銘に細工……、どういうことだ?」
「内府にとって不吉な言葉が銘文に織り込まれるよう、手を回した」
「ほう……。それで、秀頼を詰問するのか」
「そうじゃよ。……その折、内府を呪っている碑文であることを裏付けるために儒官にひと働きしてもらいたいのじゃ。その段取りをつけておいてもらいたい」
「それくらい、お婆がやれるだろう」
「わしは儒者は好かぬ。八魔多、おぬしの存じておる儒官がおるだろう。今のうちに根回ししておいてくれ」
「幕府お抱えの儒官といえば、若いが切れ者の林羅山か……」
「そうそう、その林に話をつけておいてもらいたい」
「分かったよ。……ところで、家康を呪う言葉とは、いかような文言なのだ?」
「それはな……」
狐狸婆は声を落とし、八魔多は耳を近づけ説明を聞いていたが、やがて、鼻でせせら笑った。
「なんとまあ、破落戸(ごろつき)の言いがかりとさほど変わらないじゃねえか」
「笑えるじゃろう。しかし、徳川公儀と豊臣公儀の駆け引きも、破落戸の諍(いさか)いと、さほど変わらぬものじゃよ」
笑う狐狸婆に釣られて八魔多も「たしかに」と笑い声を上げた。