理由-3
「あの子と僕が学校帰りにゲームの話で盛り上がっているところを見かけた子がいて、その子がある女の子にその話をしたらしくて──その子、僕のことをいいなって思ってくれていたらしくて──その子が仲良くしているグループの子みんながあの子を無視しだしたんだ。それが伝染するようにまた別のグループにも広がって、だんだんとクラス中があの子を無視するようになっていったんだ。僕はそんな馬鹿なことをやめろよって言ったんだけど、みんな受験勉強でストレスがたまっているから、そのストレスを発散させるためのスケープゴートなんだって笑ってた──」
「スケープゴート……」
「生贄ってやつ。酷いよね」
背中がぞくりとした。なんという言葉だろう。
生贄。そんな言葉を耳にするなんて。
好きな男の子を巡って、女の子たちがやっかんだり誰かを無視をしたりすることはわたしの学校でもあった。
誰かを仲間外れにしたり誰かの悪口を言ったり、そういったことをすることでありあまる負のエネルギーを発散させていたのかもしれない。
それでも、クラス全体が誰かひとりを攻撃するようなことはなかった。少なくとも、わたしのクラスでは……。
漫画や小説の中だけのことだと思っていた。
生贄、だなんて。
ヒロキくんが一層手に力を込めた。
いつの間にかわたしたちは立ち止まっていた。
街灯の下、ヒロキくんの泣きそうな横顔が見えた。
「三年になってあの子と僕は違うクラスになった。クラスは違っても時間を合わせていっしょにゲームで遊んだり放課後に待ち合わせをしていっしょにあの子の家まで話しながら帰ることはやめなかった。あの子に対する──いじめは変わらなかった。ずぶ濡れになったあの子を窓の外に見たこともある。教室の後ろに貼ってあるあの子の絵が汚され、破られているのを見たことがある。嫌がらせメールは毎日のように届くと言っていた。拒否しろよって言うと、無駄だからって言っていたんだ、あの子……」
いじめ、という言葉が一際大きく頭の中に響いた。
見たことも会ったこともない、ヒロキくんの記憶の中の少女の様子がまるで見てきたかのように思い浮かべることができた。胸が、痛かった。
「鞄が汚れていたからどうしたかと聞いたら、僕がとめに入った翌日に鞄をみんなで代わる代わる踏まれて汚されたって言ったんだ」
「そんな……」
「意味がわからないよね。しかもあの子、おおごとになると面倒だから今後はとめなくても大丈夫だって言ったんだよ。たえられるくらいのものだから大丈夫だって。僕は納得できなかった。あの子が傷つくのは嫌だった。でも、どうしたらいいかわからなかった。あのときのあの子のクラスの雰囲気はまともじゃなかったって今でも思う。先生も見て見ぬふりをしていたのか気づかなかったのはかわからないけれど、誰もあの雰囲気を壊すことができなかった。僕も……何もできなかった」
怖い、と思った。
続きを聞くことも、ヒロキくんがいた環境もどちらもとても怖いと思った。
先生が助けてくれないなんて、そんなことがあるなんて。
もしも自分がターゲットになってしまったら……。
そして、自分がヒロキくんの立場だったなら。
わたしは、どうしていただろう。
「あの子を家まで送ったときに一度だけ、あの子の母親に鞄の汚れについて聞かれたことがあったんだ。あの子は転んだときに汚したと答えたんだ。母親は訝しげな顔をしながらも、それ以上は何も言わなかった。そして、僕の肩に手を置いて、いつもありがとうとだけ言ったんだ。それでね──あの子、中三の夏休みが明ける頃に引っ越していったんだ。いじめが原因じゃない。お父さんの仕事の都合だって言っていた。あの子、次はたくさん友達を作るんだって言っていた。びっくりするぐらい明るい笑顔で。僕──あの子が好きだった。引っ越していっちゃって会えなくなってから気付くような淡い思いだったけど、確かに僕はあの子が好きだったんだ」