まことの筥-4
簀子に出たところで平中と目が合ったが、そのまま塵芥の入った籠を両手に持って渡っていった。出てきた女童を平中がずっと目で追っているのは分かっていた。
「君。……、ね、君」
姫君の期待通り、平中は周囲を気にしながら垣から抜け出すと、簀子近くまでやってきて呼び止めた。はい、といかにも使いの童らしく、上目遣いに怯え、高貴な人を前に萎縮した面持ちを装う。
「……君は、いつもの子と違うね」
優しげな表情を浮かべて小声で話しかけてきた平中は、近くで見ると本当に美しい顔をしていた。内心でその美貌に見とれながら、
「はい。ついこの間こちらにお仕えするようになりました」
と声も工夫して答えた。
「ほう、そうなんだ。……その頭はどうしたの?」
髪を隠している麻布を目にした平中が不思議そうに問うてくる。
「これは……。竈の手伝いをしているときに火の粉が飛んで焦げてしまいました。恥ずかしいのでこれで隠しております」
「おお、なんと可愛そうな」
平中は姫君の袖を引いて、首を振るい艷やかな憐憫を瞳から発しながら麻布を撫でた。「そんな汚い布でくるんでいるのも恥ずかしいよね。今度私がもっと美しい布を持ってきてあげよう。それでくるむといい」
「ありがとう」
女房たちに嗤われていた平中なのに優しいなと姫君が心を和ませていると、
「ところで君――」
と平中が扇で口元を隠して更に身を寄せてきた。身に染ませた香も嗅いだことのない麗しい薫りがする。「君はそちらの対の人たちと仲がいいのかい?」
「そちら……?」
平中が目線で指した先には、姫君とは別の対があった。囲われて以降は対から出たことはなく、付女房三人以外の女房とは殆ど話したことがなかった。
「いえ、まだ来て間もないもので」
「そうか。……でもそのうち仲良くなるだろう。屋敷の世話をいろいろやるだろうから」
使いの童と信じている平中は、また麻布の上から姫君の頭を撫で、
「利口そうな子だ。……そちらの対にね、一際美しい女房がいるよね?」
「さぁ……、どなたでございましょう」
「いや、今度からあの対に行ったら注意深く探してごらん。まったく他の人たちとは人映えが異なる方がいらっしゃるから。何とも美しい、女房にしておくにはもったいないほどのお方だ」
平中は語りながら脳裡にその人の姿を思い浮かべ始めたようで、うっとりとだらしなく顔を崩した。さっきまで貴公子然としていた平中が妄想に茹だって美貌を乱すのを、姫君は驚きを隠してじっと見つめていた。視線に気づいて咳払いをした平中は、
「どうだろう? 君、これからは私の文をその人に取継いでくれないか? そうしてくれれば頭を隠す布だけではない、もっといいものをたくさん持ってきてあげる」
「そんなことを頼まれましても、私、その方のことを知りませぬ」
「うんうん、君は利口な子だ」平中は勝手に断言して、「誰が見たって一番美しい人だ。君にも分かる」
「そんなにお美しい方なのですか?」
童らしく無邪気でも良いと確信して問うと、また平中は思い浮かべたようで、
「それは君、なんて言ったってあのお方は――」
と、かの参詣の折に垣間見た女のことを思い出していた。「何と言ったらいいか、あんな美しい人がこの世に居るとは思わなかった」
車に乗り込もうとしなやかな物腰で足を付いた姿。下品にならぬよう袴を握って引いてはいるが、それでも裾は幾分乱れて素足が見えた。顔を扇で隠していたが、横手から覗き見ていた平中と隙越しに目が合った。その横顔が、平中を見て確かに笑った。扇と髪に隠れて紅い唇しか見えぬその端が少し上がったのだ。しかもそれは平中を見つけて媚びるような微笑みではない、女を覗き見ている色好みを見下した嘲笑の唇だった。一瞬だけ見えたその口元は、家に帰ってからもずっと平中の頭の中から離れなかった。瞼を閉じると他の女達とは明らかに着こなしが華やいでいたその人の姿が思い浮かぶ。世に名高い平中が声をかければ喜ぶ女が少なくないのに、ああも見下した口元を浮かべることができる女だ。笑われた侮辱は平中の心を物狂おしく掻き乱し、時が経つほどに強い恋慕へと収斂させていった。