9.引っ越し-1
9.引っ越し
世田谷にある、
沙織の実家のお寺に挨拶に行ってきた。
「あー、緊張して疲れたー」
帰宅して、畳に横になる。
「あんなデカい寺だとは思ってもみなかったよ。
歴史のある、古いお寺さんなんだねぇ」
「古刹て、ゆーんだよ」
本当にデカい。境内でフリスビーが飛ばせる。
世田谷に、
あんな立派なお寺を維持できるんだから、
相当裕福だ。
他に土地があって、マンションが建ってるらしい。
沙織は一室持っていて、そこに住んでいるそうだ。
こんどの引越しの時に行く予定だ。
「お兄さんからお土産頂いたね」
「うん、二人で食べなさいって」
沙織のお兄さんが、お寺を継いで住職をしている。
当然ツルッパゲだった。
妹思いの、温厚ないいお兄さんだったな。
女同士で鎌倉に一緒に住む話をしたけど、
親友くらいにしか思ってないんだろうな。
「とっても希少な、
京都の職人さんが作ったお菓子なんだってー。
絶っっ対に電車の中に忘れるな、
って念を押されたよ」
「おー、早速開けてみよう。悪くしたら勿体無い」
沙織は、紙の手提げ袋から箱を取り出して、
ローテーブルに置く。
包みを丁寧に剥がし始める。
「結構重いお菓子だよ。これはヨーカンだね。
お兄ちゃん、私がヨーカン好きなの知ってるから」
「おー、日本茶がいいかな?」
「…ナニコレ?」
「わっ!?お札だ!
ちょっ、
戸締まりして!早く!カーテンも引いて!」
「う、うん」
箱の中身をローテーブルの上に出します。
「ひぃ、札束が5つもある。何かの間違いじゃ…」
「手紙が入ってるよ。千晶さんへって書いてある」
「どれどれ?流石に達筆だぁ。
『お金を稼ぐ才覚の無い妹です。
持参金としてどうぞお納めください。
困ったことがあったら何なりと相談して下さい。
不束者な妹をどうぞ宜しくお願いします』
わっ!お兄さんにバレてる!
何が『京都の職人さんが作ったお菓子』ですかー」
「お兄ちゃんには、
大切な人を紹介する、て言っといたけど…」
「ちょっと待ってよ〜、こんな大金どーしよう?
とりあえず隠そう」
「どこに隠すの?」
「冷凍庫にしよう。
まさかお金があるとは、誰も思わないでしょ」
ラップにグルグル巻きにしてからタッパーに入れて、
冷凍庫の一番奥に押し込んで、
上から冷凍食品でカモフラージュします。
「ふーっ。取りあえずこれでいいね。
明日、沙織の口座に入金しよう。
こんなボロ屋に危なすぎる。
お兄さんに改めて御礼しないと」
「そうだねー」
沙織が鎌倉に引っ越してくる。
沙織の住んでるマンションに行ってみた。
賃貸じゃなくて分譲だった…。
沙織の所有物件で、広い家に一人で住んでる。
あんな世田谷の一等地の最上階の南向きで、
ロビーにコンシェルジュとか居て、
一体幾らするんだよ…。
本人は全然気にして無くて、
暮らし振りも質素なものだった。
掃除するのが大変だからと、
使って無い部屋の方が多かった。
沙織は本当にお金のかからない子だ。
広いものだから、友達呼んで女子会やるらしい。
マンションは、当然支払いが終わってるので、
そのままにしておくことにした。
大した荷物にはならなかったけど、
鎌倉に送ってもらった。
「ナニコレ?長四角いの」
「ピアノー、の音が出るシンセサイザー。
こっちが部屋置き用で、こっちが持ち運び用。
ごめんね場所取って」
「それは大丈夫だけど、ピアノ弾くの?」
「うん、子供の頃からやってるの」
「はー。絵画にピアノとは、
沙織はお嬢さまなんだねぇ。
ちゃんとした人に嫁ぐべきなのでは?」
「千晶ちゃん、ちゃんとしてるよ?
社会に出て働いて、自立してるんだから。
私、できないもん」
「もん、ってw。
まぁ、沙織は働く必要が無い、
家庭環境だからねぇ。
で、持ち運び用もあるの?」
「うん。
部屋置き用は、鍵盤がフルサイズで多いから。
外で弾くの好きなの。気持ちいい」
「ふぅん」
「片付け終わったら浜辺に行こうよ。
私、弾きたい」
夕暮れの浜辺に出ます。
持ち運び用のキーボードとスタンドを合わせても、
サーフボードよりずっと小さくて軽い。
これなら体の小さい沙織でも、
近所の公園くらい楽勝で持って行ける。
潮が引いてるので、波の音は静かです。
沙織はスタンドの上にキーボードを置いて、
隣に座って、静かな曲を弾きます。
子供の頃からやってただけあって上手い。
(落ち着くなぁ…)
沙織みたいなタイプは初めてだ。
ピアノを弾いて、絵を描いて、料理が出来て、
ちゃんとした四年制大学を卒業している。
親としては、
それなりの男の元に嫁がせたいんだろうな。
家長のお兄さんが、
強力に沙織のバックアップをしている。
お兄さんが、
人生の大半を決められてしまった人だから、
妹には好きな事をさせたいみたい。
沙織を泣かせたら、
死んでも苦しい目に遭わされそうだ…。
「沙織」
「うん?」
「キスしてもいい?」
「うん!」