J-1
9時に店に着く。
着替えを済ませ、ネクタイと帽子を身に付けないままキッチンを立ち上げる。
「五十嵐さん、帽子くらい被って下さいよ。寝癖ヒドいですよ」
未央がぶつくさ言っている。
あの日ーーー風邪を引き、未央が家に来た日以来、未央とは当たり障りのない会話しかしていなかった。
お互いに、壁を隔てた向こう側から会話している…そんな感じ。
あれから未央とは何もない。
こうして店で会って仕事の話をしている、ただ、それだけだ。
「うっせーな。スープとかの仕込み、やってんだろーな」
「はい、やってます。……五十嵐さんになんやかんや言われるのは御免ですから」
向こうもその気ならこっちだってその気だ。
「あそ」
湊は鼻で息を吐いてその場から立ち去った。
いつになっても、あいつとは上手くやっていけない。
そんな気がする。
思いを伝えるのが下手くそで逆に気分を逆なでるタイプのやつだ。
「五十嵐さん」
「なに」
未央に仕込みをまかせて事務所でパソコンをいじっていると、未央が声を掛けてきた。
「なんで怒ってるんですか」
「は?怒っちゃいねーよ。つーかお前のその言い方も腹立つんだけど」
湊は立ち上がって未央を見た。
「なんで…」
未央は怒った顔をしている。
「なんでそんなこと言われなくちゃいけないんですか?!1年間、五十嵐さんにそーやって言われてきて、あたし……もう我慢できません!なんで…あたしが……あたしがキッチンに入るのが不愉快ですか?あたしが…何したんですか?!」
「何したとか今更言ってんじゃねーよ!」
湊は未央を壁に叩きつけて言った。
「俺は今でも忘れねーからな、あの日のこと…」
「え…」
「お前が勝手にうちに来たこと…」
「……」
「忘れてーけど、忘れもしねー。ちょームカついたからな。具合悪ぃーのにウチ来て料理始めて……なんだったの?…今聞くけど」
「それは……」
「なに」
未央は泣きそうな顔をして湊の肩を掴んだ。
その瞬間、唇にキスをされた。
…は?
「五十嵐さんのことが……」
「……」
「五十嵐さんのことが、好きだったから。…だから、早く良くなってもらいたいと思って……」
そこまで言うと、未央は泣き出してしまった。
めんどくせー……。
ふと、今日は佐伯はいない……店長は俺だ!!!という思いがどこからか舞い降りてくる。
こんなことしている場合ではない。
「…っだよ!泣いてんじゃねーよ!そんな顔客に見せられんのか?あ?テメーがなんとか回すんだろ?俺はもう昼にはいねーっつーの!」
未央がビックリした顔でこちらを見る。
「未央、任せた。一応、俺は休みになってるコトになってっからさ。なんかあったらすぐ呼んで。ぜってー来るから」
湊はそれだけ言い残して帰路へ向かった。
あー胸くそ悪ぃ。
なんなんだよアイツ。
どれだけ時間が経っても、嫌いだ。