笛の音 4.-3
それから本人たちにとっては深刻な、有紗にはどうでもよく見える事件を経て、最後はコウタ君とマユミがくっついた。当たり前だ。キャストから考えて、そうならなければおかしい。何故かインターハイを賭けた試合にコウタ君が勝ったら、マユミは親友と折り合いをつけて彼と付き合う決心をしていた。チームメイトもカナちゃんもたまったものではない。しかし、チームメイトは試合後マユミを抱きしめるコウタ君を囃し立てて祝福し、カナちゃんはマユミの想いに気づいていて、己の想いを己だけで算段つけた納得の笑顔で、よかったね、と言った。
何がいったい、どういいのか分からなかった。ヘロクボさんに聞いてみたい。いっときでも世間で旬となった理由を聞きたい。マユミもコウタ君もカナちゃんも欺瞞の連続だった。反吐が出る。明彦に誘われた時――まだ直樹と再会していなかった時に見たらどう思ったろう。割りといい部分を見つけることができたのだろうか? それとも、遠い記憶の直樹のことを思い出して、居ても立ってもいられず途中で席を離れてしまっただろうか。現に直樹と一緒に見ることができた今では仮定しても詮無いことだが、この映画をどんな境遇で見直したとしても、結局は不快感しか残らないと思われた。
「……どうだった?」
もうこの映画に対する話題は世間でも収まっていたから、こんな平日遅くの上映では観客はまばらだった。余韻に浸って感想を述べ合うこともなく、皆早々に帰り始めている。その程度の映画だった。有紗はまだ席につき、何も映らなくなったスクリーンに目を向けたまま直樹に訊いてみた。
「うーん……、正直……」
「おもしろくなかったよね?」
「うん」
だよね、と言って有紗は困った顔で笑った。こんな映画に誘って悪いことをした。せっかく二人で会える時間を二時間も無駄にしてしまった。腹が立つから次に明彦に会った時に、オジサンのニセ評価を責めてやろう。
「……直樹」
有紗は直樹を向いた。「ごめんね。キスしていいよ」
清掃員が入ってくるところだった。直樹はチラリとそれを見たが、頭を寄せてきて素早く唇に触れた。満足した有紗は直樹の手を握り立ち上がる。カップホルダーのアイスティーを取って一口啜ったが、氷が溶け出て薄まっていた。味がしない。だが味がしないのは別の理由だ。有紗が、ごめんなさい、と中身が残ったまま捨てることを謝ると、中年清掃員は手を大袈裟に振って快く回収してくれた。
「……直樹ってさ」
エレベーターがなかなかやってこないらしく、退館する人々が溜まっていたからエスカレーターを辿って降りることにした。ショッピングモールの店舗は閉店しており、階下は閑散としている。「私と付き合ってるとき、学校で周りに彼女いるぞって言ってた?」
「うん」
「ほんと?」
「言ってたよ」
「ふーん。……泣いた女の子とかいなかった?」
「いや、そんな子いないよ」
直樹が先にエスカレーターに乗っているから、一段下がって頭の高さがちょうどよかった。
「わっかんないよ? 陰できっと泣いてた子、いたと思う。コウタ君みたいにモテててたんでしょ?」
「いや、そんなこと言われたって、俺の知らない所でそうやって思われても――」
言いがかりだ、ちゃんと周囲に言ってたのだからいいではないか。直樹はそう言わんばかりに苦笑して、背後から難癖をつけていているセックスフレンドへ顔を向けてきた。有紗はタイミングを合わせてもう一度キスをした。モテてたことは否定しないのが癪だ。エスカレーターを乗り換えるための踊り場に到着してしまって、躓きながら、それでも直樹が体を引き寄せてきたから、唇を合わせ、抱きついて密着した。同じくエレベーターが来ないことに痺れを切らしてエスカレーターを選んだ客が降りてきて、乗り換えながらこちらを窺っている気配が伝わってきたが、構わず濃密な口づけを続けていた。
「いつもの、言って?」
「……好きだよ、有紗さん」
「うん。他には?」
「愛してる」
どうしよう、濡れて来ない。どれだけ深く舌を差し入れても、得も言われず芳醇な、いつものあのキスの味がしない。
「直樹」
有紗は唇を離し、彼の肩に額を付いた。ん?、という返事とともに、片手が腰を抱き寄せ、もう一方の手が髪を梳いてくる。和む。和むが、今から話す鬱屈を吹き飛ばしてはくれない。
「……わたし、会社、辞めようと思って」
ディルドをしゃぶり、クロッチがヌルヌルになるまでクリトリスを弄っていたが、絶頂を極めてしまわないように調節していた。
やっと、枕元に置いていた携帯が震える。その時を待っていた。淫欲に潤んだ虚ろな瞳で、有紗はディルドを咥えたまま手を離し、着信をスワイプする。
「どうしたの?」
「……あ、ああ。バイト先からメール連絡が来てるか、一応見ておこうと思って」
愛美の声と直樹の声が聞こえてくる。動悸の痛みに有紗は暫く息を止めた。拙い嘘。直樹は嘘をつくことに慣れていないのだろう。
「……やっぱり、直くん、したくない?」
「あ、……、いや」
「だって」
直樹に対してと、有紗に対してでは、愛美は話し方を変えているらしい。彼と二人でいる時は、歳の差を気にせず対等だ。「こんな時に携帯気にするなんて、なんか、イヤがってるみたい」