温かな職場-1
2.温かな職場
私は地元の短大を卒業すると、名古屋の障害者福祉施設『緑風園』に就職した。アルバートは相変わらず大阪でチョコレート職人として働いていたので、それから二人は頻繁に手紙のやりとりをして、お互いの想いを確かめ合わざるを得なかった。
郊外にあるその施設での仕事は、入所している障害者の介助と訓練が中心だった。私は脳に障害のある入所者のクラス「たんぽぽ」の担当で、6人のスタッフと一緒に毎日朝から夕方まで、15人ほどの生徒の世話をしていた。生徒と言っても、下は17歳から上は52歳までの入所者。彼らの一日の生活の流れはそれぞれの特性に合わせて細かく決められていたが、そのプログラム通りに彼らが行動してくれるはずもなく、就職してすぐの頃はその想定外のことばかりの日々に疲れ果て、社員寮に帰ると夕食をとるのもそこそこに歯磨きもせず布団に倒れ込むこともたびたびあった。
たんぽぽクラスの主任は神村照彦という背の高い40前の男性だった。職場では常に黒いスーツ姿で、笑顔がひどく優しく、私も仲間たちも彼の掛けてくれる慰めやいたわりの言葉に救われることも多かった。いわば上司としての適性を十分に持ち合わせた男性だった。
私たちスタッフは昼、入所者の食事の介助をしながら、そこで一緒に弁当を食べることになっていたのだが、やはりクラスの生徒たちに振り回され、いつも自分が何を食べたのかさえわからないような状態だった。
私と同じ短大出身で、在学中から仲の良かった橘(たちばな)敦子という友人が肢体不自由児クラス「つばき」に配属されていた。私と一緒にこの4月に就職し、同じ社員寮に入っていたのだった。
その日昼食後交代でとる休憩時間に、たまたま彼女と一緒になった。ぞれぞれ所属が別々で、同じ施設内と言っても、その仕事の場所も内容も違っていたので、仕事中はなかなか話すこともできなかったが、その日は久しぶりに顔を合わせることができて、朝から溜まっていた疲れが少し癒やされる気がした。
「思ったよりキツイな、この仕事。そない思えへん? あっちゃん」
私がため息交じりに同胞の前で気兼ねなく使える郷里大阪の言葉で言うと、敦子も困ったような目をして言った。
「そうやな。屋外活動はまだ暑いし、生徒は言うこと聞けへんし。そやかてあんた恵まれてるやん」
「なんで?」
「主任の神村さん、優しくて気遣い上手やし」
「あんたとこの主任はそうやないん?」
「あんまりわたしたちに関わってくれへん。外で垣根の剪定ばっかやってて」
「そうかー」
その時、彼女がたった今『優しくて気遣い上手』と形容した神村主任がその休憩室に入ってきた。
「浅倉さん、何か困ったことはない?」
私は少し慌てたように答えた。「え? はい。特に。今日はだいたい予定通りです」
「そう。良かった。二人ともゆっくりしてね。クラスでは気が抜けないからせめてこの時間だけでも」
そう言って彼は入り口近くにある自動販売機で缶コーヒーを手にすると、もう一度私たちの方を振り向き、にっこり笑ってすぐに出て行った。
「事務所の前にも自販機あんのにな」敦子がテーブルに身を乗り出し、私の顔を覗き込みながら小さな声で言った。
「ほんまやな。なんでわざわざこんなとこまでコーヒー買いに来はんねやろ」
「それが気遣い、ってもんや。缶コーヒー買う口実でここ覗いて、わざわざあんたに声掛けてくれはったんやない。ああ、わたしんとこの主任にも見習うてほしいもんやわ」
敦子はそうため息交じりに言って、紙コップに入ったオレンジジュースを飲み干した。
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