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忘れ得ぬ夢〜浅葱色の恋物語〜
【女性向け 官能小説】

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老夫婦-6

 マユミは階段下のキッチンスペースから氷とスコッチウィスキーの入ったグラスを持って戻り、シヅ子の前に置いた。「どうぞ」
「おおきに、ありがとう」
 ケネスはさっきシヅ子が持って来て渡された『アーモンド入りチョコレート』の箱をテーブルに乗せた。
「チョコレート、食べるんか? おかあちゃん」
「ウィスキーにはチョコレートやろ?」
「それを言うならブランデーや」
「なんや、急に食べとうなってな」
「あたし、このチョコ大好き」マユミがケネスの顔を見て嬉しそうに微笑んだ。
「そうなん?」
「シンプルだけど、カカオの香りが中のアーモンドと本当によくマッチしてるもの。口溶けも滑らかで柔らかくて」
「研究したんやで、アルと」
「まだおかあちゃんたちが若かったころやろ? 結婚したての頃や言うてたな」
「そや」シヅ子はその箱を開けながら言った。「このチョコレート売りに出した時、わたし、ようやくアルと夫婦になったんやなあ、って実感したで」
「へえ」
「思い出のチョコレートなんですね」
「あの頃からレシピはちょっとも変わっとれへんねで」
「すごいですね」
「あの頃からよう売れよった。ありがたいこっちゃ」
 シヅ子は箱からそのチョコレートを一粒取り出して、感慨深げに口に入れた。そして膝元に置いていた茶色の革の表紙が所々めくれたアルバムをテーブルに載せた。

「アルバム?」ケネスが言った。
 シヅ子は何も言わずに表紙をめくり、中程のページを開いてケネスとマユミの前に置き直した。

 それはきちんと正装をした人たちの、少し黄ばんだ集合写真だった。背景は花壇のある芝生の庭。それぞれ10人ほどが並んだ列が4つ。あまり大きな写真ではないので、それぞれの顔は小さく、あまりはっきりとわかる状態ではなかった。その集合写真の下には何の変哲もないコスモスの花を写したものが貼り付けられている。

「そのみんなで撮った写真、わたしがどこにおるかわかるか? ケネス」
 ケネスは眉間に皺を寄せてその写真に目を近づけた。
「……わからへん。どこにいるんや、おかあちゃん」
「三列目の右から二番目や」
「これ……かな?」ケネスと一緒にそれを見ていたマユミが指を置いた。
 シヅ子は身を乗り出し、その指の先を見た。「そう、それや」
「へえ!」ケネスは驚いて言った。
「どや? かわいいやろ」
「ほんとにかわいいですね、お義母さん」マユミが興奮したように言った。「おいくつの時ですか?」
「21や。わたしが最初に就職した福祉施設で撮った集合写真や」
「ほんまめっちゃかいらしな。今のおかあちゃんとは雲泥の差やな」
「ほっといてんか」
 シヅ子はケネスを睨んだ。
「それな、毎年年度初めの四月に撮る集合写真なんや。就職したてでわたしめっちゃ緊張しとった」
「確かにそんな顔しとるな。で、このコスモスは何やねん。四月に咲くわけあれへんから、この集合写真撮った頃のやないな」
 シヅ子は少し声を小さくして、躊躇ったように言った。「ああ、それは後ろの花壇で秋に咲いとったコスモスやな」
 ケネスは小さく肩をすくめた。「おかあちゃんコスモス好きやからな」

「一枚めくってみ、次のページ」
 シヅ子に促され、ケネスはページをめくった。その瞬間、ケネスは感嘆の声を上げた。「おお!」
「わあ!」マユミも言った。「ケニーそっくり! これ、お義父さまですか?」
 それは一軒のお菓子屋の前で撮られた若い男女のツーショット写真だった。
「そや。ほんまよう似とるわな、あんたと若い頃のアルバート」少し呆れたようにシヅ子はケネスを見た。
「この写真のおかあちゃん、なんか申し訳なさそうな顔しとるな」

 シヅ子は一つ小さなため息をついた。

「これも同じ頃の写真なんやろ?」
「わたしが……」シヅ子は一度言葉を切り、またため息をついた。「仕事を辞めて帰ってきてすぐの頃や」
「親父はめっちゃ嬉しそうな顔しとんのに、なんでこないな辛気くさい顔しとんねん」
 シヅ子は黙っていた。
「仕事、長続きせんかったんか? もしかして」
 シヅ子は黙ったまま頷いた。
「やっぱ訳アリなんやな? その話がしたいんか? おかあちゃん」
「さすがアルの息子やな。ええ勘しとるで」シヅ子は低い声で言った。

 ケネスはデキャンタからマユミのカップにコーヒーを注いだ後、自分のカップにも傾けた。

 シヅ子は呟くように口を開いた。「暖炉の薪は、始めなかなか火がつかんねけど、一度燃え始めたら下に熾きができて、新しい薪入れてもすぐに燃えて暖かくなるねんで」
「何やの、おかあちゃん、急に……」

 シヅ子は一度振り向いて背にしていた暖炉に目をやったあと、すぐにテーブルに向き直った。
「紙燃やすのんとはワケが違うねん。紙切れは一気に眩しいぐらいに燃え上がるけど、すぐに火は消えてまう」
 シヅ子は独り言のようにそう言って、目の前に置かれたグラスをじっと見下ろした。

「おかあちゃん……何が言いたいんや?」
 ケネスは箱の中から一粒艶やかなチョコレートを取り上げた。そして隣に座ったマユミの手を取り、手のひらを上に向けて、その上に乗せた。マユミはありがとう、と言ってケネスに微笑みを返した。

 シヅ子は、顔を上げ、向かい合って座った息子夫婦に静かに語り始めた。
「わたしの昔話、聞かしたるわ」


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