4. Speak Low-24
「じゃ、私のお姉ちゃんになってくれるんですね?」
ひかりが改めて可愛らしい笑顔を向けて言った。初めてできた一回り違う妹が可愛く見えて仕方がない。
「はい、ぜひ」
「……さっそくなんだけどお姉ちゃん、写真撮って、スゴいお姉ちゃんできたぞー、ってグループ共有していい?」
「――絶対ダメ」
ひかりがお尻から取り出した携帯に手をかざして避けていると、息を切らせて平松が帰ってきた。
「……なにしてんの?」
号泣している母親と、携帯を挟んでキャッキャと攻防を繰り広げている妹と婚約者を不思議そうに見た。
朝出勤すると前の席の女の子が、ブラウスの首元にスカーフを巻いているのを見て、
「あれ、チーフ、風邪ですか?」
と問うた。
「そうなの。なんかちょっと喉痛くて。暑くなってきたなって思ったら昨日とか急に涼しかったじゃん?」
わざとらしく咳払いをして席につきつつ、悦子の家から一緒に出勤するわけにはいかないから、いつも先に出て行き、既に自分の席に着座している平松と目が合って眉を潜めて見せた。
昨日の帰りは遅くなってしまった。陽が暮れるまで居るつもりはなかったが、母親が頻りに夕食を勧めてきて、断ろうものならまた号泣しかねなかったし、これから平松家と食事をすることも多くなるから慣れておこうと、張り切った母親が作りすぎた料理を御馳走になって帰ったからだ。
「じゃ悦子送っていくよ。多分帰らないと思う」
母親に冷たく言う平松に、いくらなんでも今日は家で過ごせよ、と辞退しようとすると、
「わかってるわよぉ、ラブラブですものねっ」
と母親は無邪気にウインクして見せ、「頑張ってねぇ、翔ちゃんっ」
何を頑張らせようとしているのやらで、悦子はエレベーターに二人が消えるまでエールを向けてくる母親に、お願いだから近所の人聞かないでと祈りつつ平松宅を後にしたのだった。
家に着くと安堵が一気に悦子を包み込み息をつかせた。持たされたチーズケーキは明日食べよう。それにしても平松の家に歓迎を持って迎えられたと思う。悦子のほうが年上だということを母親は全く気にしていなかった。それもそのはず、夕食時に母親と再婚相手の父親も同じ五つ違いの年下だと聞かされた。平松の家を訪れるまでは色々と良からぬ想像が膨らんだが、すべて杞憂に終わった。
「……疲れた?」
チーズケーキを冷蔵庫に入れ、ラグの上にへたり込んだ悦子の隣に座って平松が声をかけてきた。疲れた。だが心地良い疲れだ。
「どっちの家にも許してもらえてよかったね」
「わたしが許してもらえなかったら、かけおちしてくれた?」
「そんなの考えてもなかった」平松は笑って、「悦子が許してもらえないなんてぜんぜん。俺が悦子のお父さんに許してもらえない確率の方が高かったからさ」
「……許してもらえなかったらどうした?」
平松が悦子の腰を抱いて引き寄せてくる。悦子は伸ばしていた膝を折って平松の方へ身を委ね、髪を梳かれつつ問うた。
「許してもらえるまでお願いした」
「……かけおちしてくれないんだ」
実家を出て暮らしているのだからかけおちも何もない。だが、その言葉にはどこかしら自分のものとするために奪い去ってくれるような、悦子の鼓動を高鳴らせる魅惑の響きがあった。
「悦子の家族も大事にしたいから、そんなことはしないよ」
平松が悦子の唇を何度かはんだあと合わせてきた。肩を抱き寄せてくる腕にしがみつくように袖を握る。平松が誘ってくるままに口を開き舌を差し出すと、互い違いに上下に揺すって先を絡め合わせた。舌の裏に唾液が溜まってくる。体が疼き、胸が甘味に浸されていく。
「……結婚するんだね、ホントに」
薄目を開けて見つめる。「ほんっとー、に、わたしでいい?」
「何を気にしてる?」
優しく見つめ返されると言葉に詰まる。付き合った時から、いや、酔った勢いで寝た翌日に迫られている時から気になることは沢山ある。付き合っていても、常に悦子から懸念が去ることはないし、むしろ強くなってくる。
「いろいろ」
平松は悦子を自分の脚の間に座らせるように導き、正面から腰を抱き寄せてきた。引き締まってはきたが依然おおらかに己を包み込む平松の体に包まれながら、両肩に手を置いて頬をすり合わせると、背中に歯がゆいほどの爽感が駆け抜けていった。
「……平松悦子だね」
「ホントだ。……そうなるんだ」
頬を離して平松の正面に顔を向け、「呼んでみて?」
「平松悦子」
悦子は快味の笑みを浮かべて平松の後頭部に両手を回し左右何度も向きを変えて擦りついた。
「ゴンドー悦子みたいに強そうな感じがしない。……いい感じ」
「権藤も俺は好きなんだけどな」
「平松のほうが……。……翔ちゃんの、って感じがする」
平松が悦子の方へ体重をかけてきた。悦子はその重みを受け止めながらゆっくりと後ろに倒れていく。その途中で今日一日過ごしてきてまだシャワーを浴びていない首筋を舐められ、耳へ唇を押し当てられると自分でも驚くほど大きな悲鳴が漏れた。