〈熟肉の汁〉-3
『お帰り。楽しかったか?』
いつも通りの優しい声が、恭子を出迎えてくれた。
『彩矢は「ママが帰ってくるまで起きてる」なんて言ってたけど、言ってるそばから寝ちゃってたよ』
「そうだったの?もっと早く帰ってくれば良かったかしら……」
寝室を覗いて見ると、彩矢はお気に入りの玩具を枕元に置き、布団にくるまって安らかな寝息を発てて眠っていた。
きっと弘樹の家でも、こんな幸せな時間が流れているのだろうと思うと、罪悪感に襲われ、少しだけ涙が滲んできた……。
……と、恭子の携帯電話が着信を告げた……それは弘樹からのメールであった。
「……あ…有紀ちゃんからメール来た……」
別に耕二は何の疑いも持ってはいないのに、恭子は有紀の名前を出してからメールを読み始めた。
後ろめたい事がある者は、やはり言動に不自然さが現れるものだ。
〔有紀の事を黙っててゴメン。今度の土曜の夜に二人で会って、それで終わりにしよう〕
もし、弘樹の妻が有紀でなかったなら、恭子は別れる事を選ばなかっただろう。
返信メールに「じゃあ来週で別れましょう」と書いたのは、やはりもう一度だけでも会いたいという本心があったからだ……。
――――――――――――
なんとも微妙な感情を抱かざるを得ない週末が訪れた。
このまま密会を続けたとしても、二人が結ばれる事は無い。
もし其れを叶えるとしたなら、互いの家庭を破壊し、友達を失い我が子までも失った上でしか成り立たないのだし、それを幸せと呼ぶのは強烈な抵抗感しか抱けない。
そうは思いつつ、恭子は魅惑的なボディーラインを隠さない、鮮やかな青のワンピースを選んでいた。
柔らかそうな二の腕を曝し、美しい脹ら脛(ふくらはぎ)を惜しげもなく見せ付けているし、足元を固める黒いハイヒールが、自慢の長い足を一層際立たせていた。
そんな魅惑的な衣装に釣られてか、恭子の股間は弘樹との艶事の記憶を呼び戻したのか、ジンジンと疼いて火照り始めていた。
『今日はね、絶対ママが帰ってくるまで起きてるんだからね』
『そう言ってても、彩矢は直ぐに寝ちゃうもんなあ。じゃあ気をつけてな。いってらっしゃい』
「うん…行ってくる……じゃあね、彩矢」
夫と愛娘に見送られて不倫相手に会いに行くのは、なんとも心苦しいものだ……だが、こんな苦しみは今夜で終わる……いや、終わらせるのだ……。
恭子はアパートを出て右に曲がり、その先にあるショッピングモールを目指して歩いていった。
その広い駐車場の隅で、何時も落ち合っているのだ。