指嗾-2
「言われなくても、帰るし」
女は振り返って、輝子に背を向けたまま手をプラプラ振ると、床に落としていたバッグを拾い上げた。
「……よぉ、これから3人でしねぇ?」
背後からジョゼの声が聞こえた。
「誰がするかっ――」
身を翻してもう一度バッグでジョゼを叩こうと振り下ろした手を掴まれて、強引に腰に手を回して抱き寄せられた。向かってくる輝子の力を利用して反転すると、ドンッとドアに音を立てて体を押し付けられ、脚を膝で割って正面から密着される。
「やめ……」
言おうとしたところで唇を塞がれた。いきなりジョゼの長い舌が最奥まで差し込まれてきて、輝子が舌で防ごうとしても、喉の近くまで舌先が侵入して柔らかい口内へ擦りつけられる。舌先は届かせようと思ったら、えづいてしまう深みにまで到達することができるが、普段他者の舌などには舐められるような場所ではないギリギリの所を巧みに責めてくるから、輝子は呻きながらも唾液がどんどん溢れてきてしまう。ジョゼ越しに見える女がこっちを見て嘲りの表情を浮かべている。拳を作った両手でジョゼを押し返そうとしてもビクともしないし、口内を舌で掻き回され、丈を詰めたスカートから晒した素肌の太ももを撫でて、裾を捲り中まで入ってくる。
「あーんたになんか言われなくてもぉ〜」
女はジョゼのすぐ後ろまで歩んでくると、肩越しに口を蹂躙されている輝子の目を見据えながら、「私だって3Pなんてカンベンね? 全然慣れてないオコチャマを仲間にしてエッチしてもさぁ、気持ちいいわけないじゃん? 面倒見てあげなきゃいけないしぃ」
そう言うと、爪先に濃緑のグラデーションを施した指先でトントンとジョゼの肩を叩いて道を開けるように催促した。
「なんだよ、帰んのかよ」
ジョゼは輝子が溢した涎が唇の周りに付いたのを、長い舌先でクルリと拭い、輝子のヒップと背中を抱きしめて動けないようにしたままドアから身を逸らした。悪逆な舌から開放された輝子は逃れようと身を捩ったが、ジョゼのディープキスに力を奪われたせいで、傍から見るとモゾモゾと動いているに過ぎない。
「その子がもうちょっとエロ慣れしたら、してみるかもね。ちゃーんとアソビのエッチ教えてあげなよ? さっきから超マジじゃん、その子」
輝子が暴れて蹴って転がっていたミュールを揃えると足先につっかけて、「じゃあね」
女は出て行った。
「んだよっ!!」
女の姿が消えた瞬間、ジョゼの腕の中で頬を涙が溢れてきた。女の前では泣きたくなかったが、ジョゼの前でも泣きたくない。だいたい、何で私が泣かなきゃならないんだ。
「お前が来るのが早すぎなんだ」
「私……、ちゃんと時間通りにきたもんっ!」
「何しに来たんだよ?」
更に硬く抱き寄せられた。肘を畳んで拳を押し当てていた上躯が窮屈なほど逞しい胸板に押し付けられる。背中へ回した腕の手が、後ろから髪を掴んでジョゼの顔を見上げさせてくる。「俺は別に、来て欲しいなんてオネガイしてねえけど?」
「っ……」
言葉が出なかった。何日なら家にいるか、何時からなら会えるのか訊いたのは輝子のほうだった。じゃ、何日の何時に家に行ってあげる――。言ったのは自分だ。ジョゼの冷酷な目を見ていると悲しくなった。何しに来てるんだろう。別の女と出遇して、嗤われて、その女が見ている前でキスをされてる。きっとあの女のせいだ。今出て行った女じゃない、みんなあの女が悪いんだ。
学校から帰って玄関のドアを開けると、いきなり三人の人間が居た。母親は輝子の顔を見るなり、おかえり、ほら挨拶なさい?、と言った。既に靴を履いた二人が自分を見てくる。
「……あ、妹の輝子。6つ離れてるからまだ中3なんだ」
姉が笑顔を差し向けた相手は、スラリとしていながら筋肉の付き方が麗しい背の高い男だった。少し日本人ぽい雰囲気を残しつつも、全身を一瞥したら外国人にしか見えなかった。姉も背が高いほうだが、それよりもまだ高い。だから姉ほど身長がない自分は天高くから見下ろされる気分になる。
「輝子ちゃんね。ヨロシク」
手が差し出された。大きいし指も長い。二つもリングをしている。褐色の肌を持っているが、手のひらは肌色なんだと思い、軽く手を添えるだけの握手をして、
「お姉ちゃんのカレシ?」
と訊いた。これ、と母親が窘めたが、男は笑って、
「そう。ジョゼっていうんだ」
と言った。
「ふうん……。日本語上手いね」
輝子の方から手を離して、自分の発言に笑顔を保ちながらも少し眉を顰めた姉の顔を見て、
(『新しいカレシ』って付けなかっただけマシじゃん)
と思った。愛里菜は彼氏ができる度に家に連れてきた。異性と付き合っているけど、こういう人です。お父さん、お母さんご安心ください。そんな見るからにいい子ぶったことを普通にやるし、そういったことが嫌味にならず、誰にも好感で迎えられる姉だった。