鮑売り-2
(2)
母親より年上の大人の女に欲情したのには難しい理由はなかったと思う。
目の前に生の乳房があった……。それに尽きると思う。
覗く、のでもなければ意識的に見せつけられるのでもない。思春期の突き上げる性欲が、無防備で自然な動きの中で垣間見える女肌に昂奮したのである。
おばさんが足を骨折したのは二年ほど経った頃、ぼくは高校生になっていた。岩場で転んだということだったが、たいしたことはないと数日放っておいたらしい。痛みに耐えかねて病院へ行った時にはかなりひどい炎症を起こしていたようだ。
「初めは亀裂骨折だったみたいだけど、無理してて骨が欠けちゃったらしいの」
こじらせてしまったようで三か月ほど入院して戻ってきたおばさんは足を引きずるような歩き方になっていた。
「あれじゃもう危なくて舟には乗れないわね。お店どうするのかしら」
母は生活のことを心配していたのだろう。だが高校生のぼくにそんな実感はなく、ただ、長いこと『オッパイ』を見ていないじれったさが募るばかりだった。
ある日、ずっと閉まっていたシャッターが半分ほど開いていた。
(店を再開する……)
思わず近寄るとおばさんが背を屈めて出てきた。驚いたのはぼくばかりではなく、おばさんもびっくりしたようでシャッターに頭をぶつけて、
「あ、英樹ちゃん……」
おばさんのうろたえた表情を見たのは初めてであった。
「お店、開けるの?」
「もう、商売してるよ。いつまでも休んでらんないからね」
手には竹かごを持っていた。冷蔵ケースには蒲鉾や海苔の瓶詰は並んでいたが生魚はない。
「鮑、売り行くんだ」
「鮑……」
「鮑なら、売れるんだ」
「足はもういいの?」
「まだ時々痛い時があるけど、切りねえから」
そう言って笑ったが、ぼくには以前のはち切れそうな笑顔には見えなかった。
その後、学校の帰りにたびたびかごを持って歩くおばさんの姿を見かけるようになり、ある時ふと疑問をいだくようになった。いつも夕方なのである。魚介類の商いは午前中に行われる。特にホテルや旅館では夕方は忙しいし、前もって話がついていたとしても仕込みに間に合わないだろう。それに、おばさんは自分で漁をしていないはずだ。そのことを母に言うと、
「そうだねえ。舟にはもう乗ってないね。処分しちゃったからね。市場で仕入れたんじゃ割り合わないだろうし」
夕食を作りながら、母はさほど関心を示さなかった。
数日後の薄暮の中におばさんの後姿を認めた時、ぼくは咄嗟に身を隠した。
(鮑を売りに行くんだろうか……)
おばさんはぼくに気づいていない。
(確かめよう……)
胸騒ぎのような心のざわめきを覚えて後を付けて行った。
歩き始めて間もなく、ぼくの体は異様な熱を帯びてきた。おばさんは町はずれに向かっていたのである。旅館やホテルはおろか民宿もない方向である。
(どこへ行くんだろう?……)
見当もつかないのに動悸が高鳴った。
(鮑を売りに行くのではない……)
予感めいたものが断定するように渦巻いた。
おばさんは町筋を抜け、県道を外れて海岸へと細い道を下って行った。その頃には少し離れると黒い影になるほど日は落ちていた。
手にしたかごはぶらぶらと重量感がまったくない。
(鮑なんか入っていない……)
確信を持ったと同時に、
(何しに、どこへ行くのか……)
何やら不気味な昂奮が潮騒のように胸底から湧きあがってきた。
ゆっくり、ぎこちない足取りながら、おばさんの歩き方は目的を持って進んでいた。
その先には何もないはず……。
(何がある?……)
考えて思い当たったのは古い漁師小屋である。昔、磯漁師が道具を置いていたらしいが今は使われていない。小さい頃隠れ家として遊んだことがあった。
小屋に近づいた時には日は暮れていた。西の空はやや明るみが残っているがおばさんの姿は黒い影としか見えなかった。
ぼくが身を屈めたのはおばさんが立ち止まったからだ。ぼくに気づいたからではなかった。
かごから何かを取り出した。
(灯り……)
懐中電灯のようだった。小屋に向けて、一度、二度、ライトを点滅させた。すると小屋の窓から微かな明かりが見えた。反射ではなかった。小屋の窓は壊れてガラスなどない。それに、その光は懐中電灯ではないようだった。
(ライター……)
誰かいる……。それは、おばさんを待っている誰かだ。偶然ではない。
(合図だ)
確信すると体が熱くなってきた。
おばさんの歩みはゆっくりとなって、やがて小屋の中に消えた。