居候-5
(4)
九月になり、学校ではふたたび講義が始まった。
何度か石渡の下宿を訪れたがまだ帰っていないようだった。ポストにはチラシが溜まっていた。村瀬はその度にどこかほっとしている自分に気づいていた。
会いたくてわざわざ足を運んでいながら留守を確認して安堵している。……
漠然とではあったが、彼に会うことに引っ掛かるものがあった。それは感覚的なものだったが、その方が自分のためにいいように思えていた。
石渡と村瀬とは何かが相容れない要素を持っている。そんな気がするのだった。村瀬には他にも友人がいる。その面々を思い浮かべると彼らと過ごしていた方が屈託なく楽しめることはまちがいない。少なくとも対等に付き合うことができた。それがわかっていながら石渡に会おうとしていた。
村瀬にとって石渡という男はとても魅惑をもってみられた。それは憧憬に通じるものだったかもしれない。自分には持ち合わせない一種虚無的な雰囲気、心に秘めたように鈍い光を放つ自信。村瀬の勝手な感覚だったが、そんなものが惹きつけているように思えていた。
石渡はなかなか帰って来なかった。どこの学校でもすでに授業は始まっている。村瀬はやきもきしながら日をおいて様子を見に訪れた。
ある日、廊下にある郵便受けに石渡宛の手紙が目に入って、反射的に抜き取った。外へ出るとわき目もふらず早足で歩き、喫茶店に入り、さらにトイレに身を入れて呼吸を整えた。
掌が汗ばんでいた。封を切る手が震え、もどかしいほど力が入らない。強引に破った。
そして内容を読み、もう一度ゆっくり読み返した。どっと疲れを感じて深い息を吐いた。
差出人は旅行社の女である。手紙の文面から、村瀬は石渡の言葉に偽りのないことを知った。それは疑いのないことだった。
(石渡……)
だんだんと気持ちが和らいで胸のしこりが溶けていく反面、軽率な行動と猜疑心を抱いた後悔が重くのしかかってきた。
嘘ではなかった。あの女優に似た女を相手にしていなかったのだ。彼はくどいほど自身に言い含めた。
村瀬は一刻も早く石渡に会いたいと思った。改めて満ちてくる親近感は胸を締め付けてくる。それだけに翌日彼に再会した時は感動めいた昂揚感に包まれたものだ。
「やっと会えた。待ってたんだ」
石渡の驚いた顔は一瞬、たしかに曇った。表情を察して、何か用事でもあるのかと訊ねると、
「いや……」
口を濁して苦笑した。困惑の色を感じたのは気のせいだっただろうか。
「とつぜん来て悪かった」
ほんのわずかの間があって、石渡はいつもの笑顔を見せた。
「さっき帰ってきたばかりなんだ」
「それじゃ疲れてるな」
「そうでもないさ。また一杯やるか?」
「いつでも酒だな」
「それが一番だろう?」
「そうだな」
石渡の日に焼けた顔がとても逞しく感じられた。
夏休みの話題もあって酒はすすんだ。取り立てて珍しい出来事はなかったがそんなことはどうでもよかった。石渡と会えた、彼と酒を飲む、話をする、それが楽しかった。
村瀬は次々と話を繰り出した。40センチもあるハヤを釣ったとか、夏祭りでどれだけ酒を飲んだかとか、子供みたいにはしゃいで喋った。石渡も応じてくれていたがどこかに空洞があるような乗り切れないもどかしさがあった。
酒を飲めば必ず泊っていけよと石渡は言うのだったが、村瀬は初めからそのつもりだった。
夜、体の熱っぽさが気になったが酒のせいだろうと思っていた。
胸苦しさに目を覚ましたのは真夜中のことである。頭が朦朧として眼窩の鈍い痛みから発熱しているのは明らかだった。身動きできないほど体がだるい。石渡は静かな寝息を立てていた。
ひっそり沈んだ闇は目を凝らしても物の形がぼやけていた。遠くで車の警笛がきこえた。どうしようかと考えているうちにまた眠りに落ちていった。
それからどれくらい経ったのか、頭に何か触れるのを感じて目を覚ました。石渡が顔を寄せていた。
「大丈夫か?」
石渡の問いかけに意識の視界がうっすらと晴れてきた。夜中に目覚めた時より体が楽だった。
「夏の疲れが出たんだろうって」
「?……」
「注射を打ったよ。医者が来て」
村瀬は驚いて石渡の顔に見入った。言われてみて、そういえば誰かの会話が夢のように漂った。
「もう熱はひいてるかもしれない」
「わざわざ呼んでくれたのか」
「変だったからさ。うなされてたし、熱がかなりあったし」
「よく来てくれたな。夜中に」
「大家さんの知り合いでさ。頼んだんだ。救急車じゃ大袈裟だろ」
「済まないな……」
「気にするな」
石渡は肩のあたりの布団を軽くたたいた。
「金、かかっただろう?あとで払うよ」
石渡はそれには答えず、
「何か飲むか?」
窓からは眩しい朝の陽射しが差し込んできていた。
「学校はいいのか?」
「明日からいく」
石渡は枕元にジュースを置いてくれた。