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居候
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居候-3

 酒を酌み交わして間もなく、石渡は思い出したように座布団を仕舞った。その動きを目で追いながら、
「向うの片思いってわけだな……」
村瀬は卑屈になっている自分を感じていた。
「どうなんだか……」
石渡は気のない返事をして、
「○○旅行社のーー」と話し出した。
「あそこの支店の窓口にいるよ。ついでがあったら見てみな。似てるから」
また女優の名を口にした。
「名札をつけてるからわかるよ」
「そうか……」
村瀬はなぜか無理に声を出して笑った。

「ところで、彼女は?」
石渡から訊かれた時、村瀬はぎきちなく微笑んで戸惑いをごまかした。
「そっちの方はだめさ……」
続けざまに酒をあおると石渡が薄笑いを浮かべながらじっと見ていた。
「好きな娘はいるんだろう?バイトの中にいそうだな」
話を引き出そうとする質問を投げかけてきた。
「誰だろうな。明日当ててみようか」
からかう調子を感じたのは劣等感だろうか。
(いまだに女と縁がない……)
村瀬は矛先をかわしながら、そのうち身構えている自分に気づいた。石渡が一回り大きく見え、自分との違いを見せつけようとしていると思えてきた。明確な根拠はない。あるのは歪んだ自己嫌悪だけだった。

 酔ってくると少しずつ気持ちがほぐれてきた。石渡も饒舌になって二人の間には笑いが繰り返されたが、彼がどの程度酔っているのかどうか、素面とあまり変わらないようにも見えた。


 その日から半月ほど、二人はアルバイトを共にした。仕事は単調な流れ作業だったので一日中喋り続けていた。お互い知らないことがいくらでもあったので話題が尽きることはなかった。
 石渡は口数の多い方ではない。もっぱら村瀬が話をして彼が合間に言葉を挟んだ。無駄口を叩かない男だった。

 村瀬が冗談や駄洒落を飛ばすと石渡はよく笑った。そういう時、村瀬はとても得意な気分になった。人を笑わせることにいささか自信をもっていた。ひとつの話からいくつかのオチをつけ、それが受けると自分も楽しくなった。
「そうきたか!」
石渡は時に腹をかかえて笑いながら村瀬の『才能』に拍手を送った。しかし調子に乗って内容が次第に露骨になったりするとあまり笑わなくなった。さらに続けると彼はほとんど声を出さなくなり、申し訳程度に頬をゆるめた。
 石渡の反応がそこまで鈍くなると村瀬は空虚な後悔の壁に突き当たるのだった。下品な話に転じさせた自分が軽蔑されているように感じた。その度に、もう下卑たことは言うまいんと思うのだが、翌朝石渡の顔を見ると、いつの間にか笑わせようとしているのだった。

 アルバイトが終わった日、村瀬は石渡のアパートに泊りに行った。石渡は翌日帰省することになっていた。夏が盛りであった。

「しばしの別れの盃といくか」
給料を懐にして石渡は上機嫌だった。むろん村瀬も大賛成だったが、その前にひと風呂浴びようという誘いにはそれ以上にもっともだと思った。なにしろ汗を流さないことには飲んだ酒がすべて皮膚にまとわりつきそうなほどに暑く湿った一日だった。

 銭湯はすぐ近くにある。
 タオルを肩に夕暮れの中を歩いていると 一日の疲れとともにアルバイトとはいえ、仕事を終えた充足感があった。

 その辺りは都心からやや離れた住宅街のため神経に障るような騒音はほとんどない。
「静かなところだな」
たった三つの駅しか離れていないのに村瀬の住む地域は雑然としていて街に品がなかった。開発時の街造りが違ったものか、住人の質も異なっているように感じられた。
「夜は静かだよ」

 銭湯の暖簾をくぐると、若い女が履物をはこうとしていた。俯き加減の長い髪が黒く光沢を放っている。
 見覚えがあった。女が顔を上げた時、石渡はすでに男湯の引き戸を開けていた。
「管理人の女だよな?」
村瀬は石渡の背中に問いかけた。
「記憶がいいな」
「よく見ると、けっこういい感じじゃないか」
「そうかな……」
石渡は鼻で笑うように言った。

 アパートの窓側は庭になっている。手入れをしていないため雑草が生えるままになっていた。住人の誰かが植えたものか、丈の低い植木が何本か夜風に揺れていた。
 管理人の部屋は一階にある。風呂からの帰りに道路から見ると灯りがついていた。簾の奥にぼんやり人影が見えた。
(窓の下に忍び寄れば中を窺える……)
 アパートの入り口で石渡に笑いかけた。
「覗いてみようか」
ふざけて庭の方を指差した。
 石渡は笑わなかった。その代わり、非難するような目付きで一瞥を投げてきた。村瀬は立場を失って立ちすくんだ。冗談だよという一言が喉の奥に止まってしまった。

 酒が入ってくると少しずつ曇った気分が薄らいでいった。
テーブルが汚れると石渡は布巾で拭き取ってはその都度洗いに立った。酒を飲みながら少しも億劫がらない。そういう几帳面さがあった。それはシチュー用の皿や茶托まで揃えてある食器類からもうかがえた。男子学生の一人住まいには見かけない品々である。そうかといって特に神経質なわけではなく、服装もこざっぱりしていて適度な粗野性も表われていた。そして端正な顔立ち……。
こういう男が女には好まれるのだろう。村瀬は自分にないものばかり石渡に見出していた。

 石渡がトイレに立った時、畳の上に髪の毛が落ちているのが目に止まった。つまみ上げると微かに動悸が弾み出した。明かに女の毛髪である。急に部屋の空気に澱みを感じた。
(旅行社の女だろうか……)
いや、管理人?
 なぜそう考えたのか、さざ波のような昂奮が体の疼きを呼んだ。

 明くる日、村瀬は帰省する石渡を駅まで見送りに行った。
「いつ頃出て来る?」
「そうだな。九月の初めには」
「じゃ、俺もその頃には」
彼の故郷は、冬はスキーのできる町である。
「また飲もう」
「うん。飲もう」
村瀬は笑って応えた。


 


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