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居候
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居候-2

(2)


 見ず知らずの石渡との出会いは、ちょっとした話の種にはなったが、言うまでもなく村瀬にとって石渡は未知の存在に等しかった。格別変った出来事があったわけでもなく、出会いの折は泥酔していたこともあり、言ってみれば往来で落し物を拾ってもらった程度の印象しか残らなかった。だから世話になった礼をしたい気持ちはあったものの、わざわざ訪ねて行く気にもならず、彼のことはそれきり思い出すこともなかった。

 ところが偶然な再会が待っていた。夏の初めのある日、村瀬がアルバイトをしている仕事場に石渡がやってきたのである。
(石渡!)
一年ぶりだが、時間は瞬時に遡った。彼も一目で村瀬を認め、二人は奇遇に驚き、また喜んだ。

 その時、不思議な感情に突き当たった。まるで十年来の知己にでも会ったような懐かしさが胸に沁み渡ったのである。それはとても温かな想いであった。
(たった一度会っただけなのに……)
なぜなのか、その想いがどうして湧き出てきたのか、自分でも理解出来ず、とにかく話したいことが山ほどあるような浮き立つ気分になったのだった。

 その日村瀬は数日分の半端な給料をもらえることになっていたので一杯奢る提案をした。彼は少しも遠慮せず、
「そいつはありがてえ」
おどけて舌舐めずりしてみせた。そのさっぱりした態度に村瀬は好感を抱いた。

 ふたたび石渡のアパートに行くことになった。居酒屋に行くつもりでいたところ、
「俺んとこへ来いよ」
その方が安上がりだし、ゆっくりできると言うのだった。
「泊っていけよ」
 それならと気前よく酒や食料品を買い込むと、石渡はその度に口笛を鳴らして額の前に手を立てて拝む真似などしてみせた。村瀬は楽しくなってスーパーの隅々まで歩き回った。

 
 アパートの玄関から若い女が出てきて石渡に会釈をしてすれ違った。村瀬が後ろ姿を見送っていると、
「管理人だよ。アパートの」
「管理人?」
「そう、若いだろう」
「そうだな。管理人とは……」
鼻腔に流れた女の仄かな香りはしばし村瀬を酔わせた。

 部屋には覚えのあるにおいがこもっていた。それは決して不快なものではなく、あるこそばゆさを感じるようなほっとするにおいだった。
 人形やぬいぐるみにも見覚えがあった。一度来ただけなのに寛ぎさえ感じたことだった。

「どうした?」
石渡は部屋に入ると机に置かれた紙片を見ていた。
「手紙か?」
石渡は振り向くと無造作にその紙を村瀬に手渡した。そしてひょうきんに手を打つと酒の支度に取りかかった。

 紙には女文字で、二時間ほど待ったが帰らないので置いていく、という趣旨のことが書かれてあり、ずいぶん残念そうな言葉が使われていた。
 置いていくというのは机にある包みのことのようだ。
「何だろう?」
村瀬は石渡に訊くともなく言った。
「化粧品だと思う」
石渡は湯を沸かしはじめた。
「前にも持ってきたことがあるんだ。よかったって言ったらまた持ってきた。迷惑な話さ」
最近若者に人気の化粧品である。
「使うんなら持っていけよ」
「いや……」

 話を聞きながら、村瀬はもう一度書き置きを読んで包みの上に置いた。
「もてるんだな……」
村瀬は頬だけでぎこちなく笑って石渡の横顔を見つめた。
「関係ないさ」
石渡はいくぶん照れくさそうに微笑んだが、長くは笑わず忙しそうに食器を並べはじめた。

 村瀬は意気が萎えていく自分を確認して切ない情けなさを噛み締めた。消極的で、何事にも自己を打ち出せない自分が不甲斐なかった。日常、秘めるように隠し抱いている劣等意識が石渡の前で暴露されてしまったみたいで村瀬は顔の火照りを感じた。

 石渡は女好きのする整った顔立ちである。その上、どこか動じない自信に満ちた雰囲気を備えた逞しさがある。……村瀬にはそう思えた。それが容貌から受けるイメージなのか、行動的な印象がそう感じさせるのか、それはともかく、この時はただ彼に対する羨望のみが心を圧していただけだった。いずれにしても村瀬には到底及ばない眩しい魅力であった。

「これ、見ろよ」
石渡は押し入れから白いカバーの座布団を出してきた。指し示した部分には赤黒いシミが付着していた。村瀬は見入ってから、
「血か?」
「ああ」
石渡は頷き、村瀬が座っている辺りを指さした。
「そこに座ってて、トイレに立った時に見つけたんだ。生理だったんだな。洩れたんだろうな。慌てて裏にしたけど」
その女が化粧品を置いていったのだと石渡は説明した。そして、女は高校の後輩らしいが在学中の記憶はなく、何の関係もないしまるで興味を持っていないことを付け加えた。

「しかし、留守中に部屋に入ったってことは鍵を持ってるんだろう?怪しいな」
村瀬は精一杯茶化したつもりだったが、石渡は相好を崩さなかった。
「どうも勝手にスペアを作ったらしいんだ」
一時期、ポストに鍵を入れておく習慣があって、その頃のことだという。
「まあ、悪いことはしないだろうから黙ってるんだ」

「相手は熱烈なんだな。その女、ブスなのか?」
村瀬は座布団の淫猥な色を見つめながら訊いた。
石渡は流し場に立ってから缶詰を開けながら、
「ブスじゃないけど……」
考える間を置いてから、ある女優の名をあげた。少しだが、似ていると言った。
 村瀬は驚いて顔を上げた。それは今、もっとも人気のある若手女優の一人であった。
 途端に耳の奥が騒がしくなった。そして思わず溜息が洩れた。
(こんな座布団を見せなくてもいいのに……)
会ったこともないその女の生々しい部分が脳裏をよぎっていった。  


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