神谷屋敷2-4
そうして彼女が落ち着きを多少取り戻した後、慎は本題を話した。
「神谷の別荘に骨休みに行かないか?」と。
佳夜はあまりの驚きに言葉を失った。
反射的に思わず了承しようとして首を縦に振ろうとしたが、茂の存在を思い出した。
彼が許すはずがない。自分を1日でも手放すはずがない。
そう思って断ったが、慎はその言葉を予想していたようだ。
その後に、茂は明日から出張に行くこと。それに伴い、しばらく帰ってこない旨を伝え、改めて来ないかと聞いてきた。
ここまで言われれば断ることもない。
それに彼女自身、慎と共に過ごしたいという思いがあった。
そして今度こそ、佳夜は喜んで申し出を受けた。
そして現在に至る。
「さぁ、遠慮なく入ってくれ。今日は君のために来たのだから」
「は、はい…。でも、いいのでしょうか。私なんかがこんな扱いを受けて…」
佳夜がそんな言葉を発すると、慎は優しく微笑んだ。
完璧な笑顔だった。こんな笑顔を見せられたら、殆どの女性は彼の虜になってしまうと思えるほどの。
それは佳夜も例外ではなかった。顔は真っ赤に染まり、心臓はドクンドクンと急速に早鐘を打つ。
「君が優秀な秘書として頑張っているのは聞いている。当主の秘書となれば心身の負担もかなりのものだろう。これはそんな君へのご褒美とでも思ってくれ」
表向きは、佳夜は茂の秘書ということになっている。
だが実際のところは、茂は四六時中佳夜を傍に置いておきたかっただけで、秘書としての仕事など何もない。
昼夜を問わずその美しい身体を弄ばれ、陵辱されているだけなのだ。
そんな実情を慎は知らないと思いこんでいる佳夜は、彼に対して罪悪感が芽生えてくる。
途端に暗い顔になった佳夜を、慎は心配げに見つめる。
「どうした?もしかして…俺と来るのは嫌だったか?」
「そ、そんなことはありません!私、慎様とこんな素晴らしいところに来れて、とっても嬉しいです!」
慌てて佳夜は答える。
「よかった。ここは周りが自然ばかりで何もすることがないかもしれんが、静かで穏やかないい所だ。ゆっくりしていってくれ」
またもや極上の笑顔で言われ、佳夜の心拍数は再び跳ね上がった。
それからの別荘での時間は、佳夜にとって正に至福の時だった。
慎の言った通り、辺り一面は木が生い茂るばかりでコンビニ一つない。
どことなく神谷の本邸に立地条件は似ていたがそこは別荘、本邸のどことなく薄暗い森と違い、陽が所々に差し込み優しげな雰囲気を作り上げていた。
別荘に入り、荷物を部屋に置いた後、慎から森に散策へ行かないかとの誘いがあった。
佳夜はすぐに笑顔で頷き、慎と共に森へと入っていった。
森では慎が、そこかしこにある山菜の名前や、毒キノコなども教えてくれたりした。
また自分の子供時代の毒キノコを食べた時のことなどを、面白おかしく話してくれ、佳夜も楽しげに聞いていた。
散策時の、何気ないことでも佳夜をそっと案じてくれる慎。
そんな慎を佳夜は、この頃にはただの憧れではなく、はっきりとした恋愛感情へとうつり、心奪われていた。
別荘に戻った頃には既に夕食時になっていた。
夕食は紫乃達が用意してくれた。彼女達は元々給仕役としてここを訪れているのだ。
しかし、実質同じ立場である佳夜が何も給仕をしていないことに、彼女自身心苦しく感じて手伝おうとしたが、紫乃から、「貴女は今日はお客様なんだから。ゆっくりしていて」と、やんわりと断られ、佳夜は渋々その場を後にした。
夕食も慎と同席で食べ、佳夜は緊張しながら食べていた。
この時も慎は佳夜の事を気遣ってくれていたようだが、次代当主と侍女が同席するという前代未聞の事態に、佳夜は頭が真っ白になって慎の言葉もほとんど届いていなかった。
食事が終わって、慎から風呂を勧められ、佳夜は素直に湯浴みへ向かった。
お風呂は天然温泉を引いているらしく、今日の身体の疲れがほぐされていく。
たっぷりと湯に浸かり、部屋へ戻った後には急激な睡魔が襲ってきた。
佳夜は抵抗することなく、睡魔に身を委ねた。
「…ゃ。かや…」
「ん…?」
名前を呼ばれ目を覚ますと、傍には慎が座っていた。
佳夜は急いで跳ね起きる。
「あひゃっ…!し、慎様っ…何でしょうか?」
「そんな慌てなくていい。女性の部屋に無断で入ったんだ。叱責されるのは俺の方だよ。…ここに来たのは佳夜と話しがしたくてね」
「私と…?」
「ああ。佳夜、今日は楽しかったか?」
その言葉に佳夜は即座に頷く。
「はいっ。ここはとてもいい所で、ご飯も美味しいし、温泉も最高でした!…そ、それに…」
「それに?」
佳夜は顔を俯けて、顔を真っ赤にしている。
「それに…慎様のような素敵な方と、過ごせたから…」
真っ赤な顔のままボソボソと呟く。
慎は驚いて目を瞬かせていたが、やがてゆっくりと微笑んだ。
「ありがとう。そんな風に思ってくれてうれしいよ」
佳夜は未だに顔を真っ赤にさせて俯いている。
ここに来てよかった…
そう思った矢先、佳夜を青ざめさせる言葉が出る。
「父とは仲良くしてるか?」
今の今まで茂の存在を忘れていた。しかも思慕を抱く彼にそんな事を聞かれるとは…
毎日行われている茂との情事を思いだし、胸が苦しくなる。
しかし、慎の次の一言は佳夜の心を更に締め付けた。
「すまない…意地悪な言い方だったな。本当は知っているんだ。父と佳夜との関係を」
「えっ…?」
さっきまで真っ赤だった佳夜の顔が今では真っ青になっている。