4.月は自ら光らない-7
徹が歯を食いしばったような声になる。紅美子の絶頂を待ってガマンしているのだ。そう思うと紅美子の性感は一気に加速して、
「イク……、っ、あっ……、と、徹も出してっ……」
と言うと電話の向こうから、
「ああっ……、出るっ……うあっ、あっ、で、出てるっ……」
という叫びが聞こえてきた。紅美子も徹の声に合わせて腰を大きく前後にヒクつかせながら絶頂を感じ始めると、井上の指がGスポットを穿り、脚の間から潮を飛ばしていた。徹の声を聞きながら自分を慰めた時の絶頂は、家で一人で玩具と指を使ってもたらされる愉楽より遥かに鮮烈だった。
電話の向こうの息がだんだん安らかになってきた。果てた後の余韻から醒めていくのは女より男の方が早い。
「ク、クミちゃん……」
「ん……?」
「すっごい、気持よかった……」
「私も……」
しかし絶頂の余韻に揺蕩うている紅美子の頬を井上が軽く叩いてきた。意識が戻ってくると紅美子は今の状況が一気に思い出されて、耳の先まで真っ赤に染め上げ、
「と、徹……。ご、ごめんね」
反射的に謝罪の言葉を発してしまった。「なんで?」そう問われて返答できずに詰まってしまう。紅美子は今度は徹に気づかれないように悲声を押し殺した涙をこぼして、
「ううん……、急に電話して、こんなことして、はずかしくなって……」
と言った。
「……嬉しかったよ」
「ヤラしい女だって、嫌わないで」
「嫌うわけないよ、大好きだよ」
優しい言葉が聞こえてくる。幸福と罪障の両方に胸が絞まりながら、
「徹……、あの、あのね。その……、すっごい汚しちゃたから……、あとかたづけ、する。……切るね」
と言った。
「俺もだ」徹の微笑みが聞こえて、「……おやすみ」
「うん……。おやすみ」
携帯を切った瞬間、その手首と、まだ下腹部に置かれていた手を引かれて、頭の両側のシーツに強く押さえつけられた。脚の間に体を入れられ、覆いかぶさって真上から見下ろされる。
「……徹くんとのテレフォンセックスはよかった?」
そう問われると、最後に聞いた徹の優しい声が深遠の闇の向こうへ泡沫のように消えていって、簒奪の主の顔を強い怨目で見つめ返した。「違う男に指を入れられながらしてるなんて、思わなかったろうね」
両手をついたまま、腰だけを使って紅美子の下腹部に先端を押し当てて入口を見つけると、グッと圧迫して腰を進めてくる。
「変態っ……、なんてことさせんのよっ……!」
「ものすごく僕の存在を気づかせたかったよ。……何、僕の前で徹くんに甘えて見せてるんだ……!」
最後は怒りに喉を震わせた井上が紅美子の唇を貪って、電話で恋人との自慰を見せつけられて体中に充満した嫉妬が全て集約して猛る男茎を、深々と紅美子の内部に押し込み、何度も力任せに打ち付けてきた。いつもより激しい勢いで情欲を紅美子の子宮に放っても、冷めやらぬ嫉妬がまた彼を硬く回復させて、紅美子の体の奥を長い時間打ち付け続けてきた。
「――最悪だったよ、あれ。今思い出しても、恥ずかしくて死にそう」
肘おきに腕を置いて、額を手のひら擦りながら紅美子は首を振った。
「よかったじゃないか。遠距離恋愛を円満にする方法の一つが分かって」
カードを返しに来た店員が差し出したシートにサインをしながら井上が笑った。
「……そうだね。またしようっと。もちろんあんたの見てないとこで」
「そうしろ。明日から出張にいく。二週間は戻らないけど、状況次第でもっと延びる」
「ふうん、どこいくの?」
「上海と大連」
紅美子は早田の言葉を思い出した。
「……そ。じゃ、私は暫く平和だ」
「と、いうことだから今日は帰さない」
井上が席を立った。
自転車は久しぶりに乗った。
(誰かにパンツ見られたら、徹に怒られるだろうな)
ペダルを漕ぐごとにキャメルのピーコートとニーハイブーツの狭間の素肌の脚が上下するのを眺めた。だが両側に稲刈り後の田圃がひたすら続く農道には全く人影はなかったから、誰かに見られてしまう心配は無かった。自転車でずいぶんと走ったところにあったスーパーマーケットの袋をカゴに乗せ、寒風に髪を靡かせ耳を凍えさせながらも、こういうのも悪くない、と紅美子は自転車を漕いでいた。スーパーの生鮮食品売り場では、手を叩きダミ声を響かせた年配の店員が、紅美子の左手の指輪を見て「奥さん、今日お刺身どう?」と薦めてきた。買い物カゴを肘にかけ、腕を組んで頬に爪をトントン叩き、魚を選ぶ。近い未来の日常の風景を感じながら、紅美子は口元を緩ませていた。