そして…-3
若菜の裁判は裁判員制度が採用された。若菜の起こした事案は世論的には賛否両論だったが、父親と先輩の為に復讐に燃えた若菜の姿を美談として取り上げるメディアが多く、ちょっとした英雄的な見方をされていた。そんな世論を踏まえ警視庁や宮内庁が若菜の罪をなるべく軽減するよう圧力をかけての裁判員制度だったのかは不明だ。本人の気持ちとは裏腹に物事は若菜の有利になるよう仕向けられている感じはする。
若菜は弁護士を必要とはしなかった。殺人の罪を弁護してもらう気などないからだ。事実通りの事なら若菜は全く否定もしなかった。
裁判員も若菜に同情する心情の人間ばかりであった。しかし刑期は殺人罪にしては恐ろしい程に短いものだった。
実刑2年…、それが若菜に下された判決だった。その刑期の短さに若菜が反論するという珍しい光景に全員が唖然とした。下された2年の刑期に対して自ら10年以上の刑期を求める裁判などまずないからだ。長年に及ぶ特異な事件は、やはり特異な裁判で幕を閉じる事になった。
後日、刑務所に入る日が来た。犯罪者が刑務所に入るのは当然だと考えていた若菜だが、いざ刑務所の前に立つと、今までの人生が一度終わるような気がして怖く感じた。自分は犯罪者…、その重みに体が押しつぶれそうな恐怖を感じた。重くのしかかる犯罪者としての罪悪感を背中に背負い、若菜は囚人としての暗黒の人生の中に足を踏み入れたのであった。