真里菜の憂鬱-7
(7)
「お兄さん、誰とも付き合ってないっていってたわよ」
美咲は『第二ボタン』を手にした相手が気になって仕方がないらしい。真里菜がつい口にした架空の同級生の女子のことである。同じ高校に通っていることになっている。何も考えずに嫉妬からでまかせに言ったものだが、美咲の胸には重く残っていたようだ。
「そんなこと、訊いたの?」
真里菜は内心ひやっとしながら、さりげなく言った。
「うん、この間」
「付き合ってないって?」
「うん、そう言ってた」
「でも、そういうことって、美咲には言わないかもしれないわよ」
「なんで?」
「なんでって、クッキー持ってきてくれたのに言いにくかったんじゃない?」
美咲は考える顔を見せた。
「その人が本命なのかな……」
ぶつぶつと独り言みたいに言って、
「今度詳しく訊いてみようかな」
「だめよ」
咄嗟に言ってしまった。
美咲はちょっとびっくりしたようで目を見開いて真里菜を見た。
「どうして?」
「え?……」
言葉に詰まった。
「だって、そういうこと、訊かれたらいやだと思うよ。男子って、そうじゃない?」
「しつこいって思われるかな」
「そう、そうだよ。嫌われちゃうよ」
この一言は美咲には応えたようで、見たこともない深刻な顔になった。
(うまくいったかな……)
思ったら、美咲はとんでもないことを呟いた。
「彼にあげちゃう……」
(?……)
何を言ってるのか、初めは分からなかった。
「あげて、彼をあたしのものにしちゃう。ボタンなんて関係ない。ハートを掴んで抱かれたほうが勝ちよ」
真里菜は呆気にとられていた。想像もしない美咲の言葉だった。彼女の言葉がぎくしゃくと空回りして、気がつくと美咲の腕を掴んでいた。
「どうしたの?真理奈」
「あげる、なんて……どういう意味?」
「Hするっていうことよ」
平然と言った。
「そうすれば、彼はあたしのもの。あたしは彼のもの。その同級生だってまだHしてないと思う。先に奪っちゃうの」
真里菜は自分の動悸を聴いた。怒りが湧いてきた。
「美咲。私のお兄ちゃんよ。そんなこと言わないで」
真里菜は自分の顔が強張っていると思った。たぶん目つきもきつかったのだろう。美咲はたじろいだ様子をみせて謝った。
「ごめん。そうだよね。お兄さんだもんね。変なこと言っちゃった。ごめんね」
「いいよ。……」
昂奮はすぐには冷めず、真里菜は居たたまれずに美咲から離れていった。
怒りのわけはわかっていた。『兄』だから、というより『亮輔』だから……。
もやもやと燻っていた想いが小さいながら炎となって真里菜の心が燃え始めていた。
(奪われたくない……)
美咲にはもちろん、誰にも……。
(好き……愛しい……)
それは、兄としても、亮輔という男性としても、同じだった。
(好き……愛しい……)
小学校三年の時に灯った明かりは気付かぬうち、ずっと灯り続けて身を焦がすまでになっていた。いま、十四歳、子供ではない。大人にはまだ距離があるけれど、
(濡れる体になったのよ……)
だからといって、どうしよう。
真里菜は熱をもって膨らんでいく『女』の成長を自覚しながら、迷いの中で欲望に揺れていた。
とはいえ、『兄(あるいは亮輔)とセックスをする』ことを生々しく想像したことはなかった。性の高まりを抑えきれず、兄のベッドで初めて秘部に触れてからは、ときおり彼の匂いの中で陶酔していたが、ただ抱き合う場面を思い描くだけで、性器が絡む形は浮かばなかった。それは兄妹の扉を意識しているからだろうか。
(美咲はほんとに兄とHするつもりなのだろうか……)
美咲だったらやりかねないと思えてくる。
夜、中学の時に垣間見たペニスが美咲の割れ目に挟まった形が頭に映し出される。あくまでも想像だからその様相は鮮明なものではない。しかしだからこそもどかしくて頭から離れない。
(そんなこと、ありえない。兄がするはずがない)
でも、誘われたら……。セックスへの興味は男子のほうが強いらしい。
好きでなくてもするみたいだ。誰とでも?
(私はそそんなのいやだ……)
あれこれ考えていると、真里菜の中の『亮輔』も『兄』もだんだん遠くなっていく感じがして淋しさに胸が苦しくなった。
美咲がどういう行動に出るのか。気が気ではなかった。
だがHの話を聞いてから十日経っても美咲は何も言ってこない。真里菜は不審に思った。兄の話さえしなくなったのである。
(あの時私が怒ったから……)
たぶんそうなのだろうけど、そうなると何を考えているのかわからなくて却って不安になる。
(きっとそんな勇気ないんだ……)
口では言ったけど、出来ないから何も言えないんだ。
(そうに決まってる)
真里菜は自分に言い聞かせた。
ある日、別の友達から情報が入った。
「美咲って、ほんとに高校生と付き合ってるみたいね。初めは嘘だと思ってたんだけど」
「何かあったの?」
「だって、アレ持ってたの」
「アレ?」
「Hの時の。あたし初めて見た。もうすぐ使うんだって。すごくない?」
真里菜の衝撃はかなり強いものだった。
(まさか、兄と……)
約束が出来ているのだろうか。
気持ちが騒いで、兄に確認せずにはいられなかった。
(今夜、訊いてみよう……)
むろん、『H』のことなんか口に出せない。それに、どういう風に話を持っていったら自然か、訊き方に迷った。迷ううち、その日は何も言えず、翌日に持ち越したのは親の夜勤の日だったからであった。
久しぶりに『二人だけの夜』が急激に甦ってのしかかるように彼女を被ってきた。
(甘えたい……抱っこして……)
言ってみようか……。真里菜の昂奮は幼い頃にはなかった熱い滴を伴っていた。