未亡人遅咲き淫花-3
(3)
「遠いんですけど、お願いできないでしょうか」
例年親族が集まって半月ほど過ごすという。
交通費はもちろん、料金も割増しである。十分見合う金額を提示され、即座に承知した。
「軽井沢の別荘で仕事なんて初めてです。何だかわくわくしますよ」
さっそく日時を決めると、久美子はやや言い淀んでから意外なことを言い出した。
「一日がかりになってしまいますね……」
「でも、新幹線がありますから」
「それでも、お疲れだと思うわ。……もし……」
よかったら泊っていかないかと言うのである。
「お仕事に支障がなければ、ぜひ……」
「はあ……」
ありがたい誘いだが、さすがに見知らぬ人たちの中に入るのは煩わしい。それに場違いでもあろう。せっかくの休暇に他人が混じるのは気が引ける。
婉曲にそう断ると久美子は真顔になって声を落とした。
「その日、あたし、一人ですの……」
みんなが集まるのは三日後でその間一人で過ごすのだという。
片倉は久美子の言葉を遠い感じで訊きながら、吹き抜ける風のような動揺を覚えていた。
真意をどう解釈したらいいのか。気兼ねはいらないと、深い意味を含めず言ったものなのか。いや、そうではあるまい。自宅には常に何人かの使用人がいるが、わざわざ一人だと言ったのは彼らもいないということだろう。そうなると、
(彼女と二人きり……)
そのことを強調したのだ。……
自ずとこわばる顔に軽い笑顔を作って、
「いいんでしょうか。夢みたいだな。軽井沢の別荘に泊まるなんて」
思惑など皆無の風を装ってさりげなく受けたものだ。それだけにいささかわざとらしさは否めなかった。
別荘といっても真崎竜三氏が終の棲家と考えていただけあって立派なものである。久美子の説明によると、一階にはLDK、キッチン、日用品などの保管部屋の他に、和室があり、寝室が二部屋ある。二階にはやはり二つの寝室と多目的に使える部屋が二部屋あるという。8LDKということになるが、リビングにしても三十人ほどがゆったりパーティーを開ける広さがある。敷地も相当なものだ。
「遠くまで来ていただいて、ありがとうございます」
薄い若草色のワンピースが清々しい。
久美子がお茶を淹れてくれたが、とにかく仕事を済ませてしまおうと作業に取り掛かった。どういう展開になるものかわからないが、調律の依頼で来たのだからまずはそれを片付けなければ何事も頭が回らない気がした。
調律をしながらそれとなく彼女の様子を窺うが特に変わった様子は見えない。二人きりで別荘にいるのだ。その気があるのならもう少しそわそわするなり、想いが顔に表われてもいいように思う。泊っていくように誘われたのである。
(もしかしたら、単に労をねぎらう意味で言ったことだろうか……)
遠くまで来てもらったことへの儀礼だったとしたら……。
片倉は自分の考えが一人妄想に踊っていたのかと迷い始めた。
(その気になって下手なことをしたら……)
大恥をかくことになるかもしれない。仕事だって失ってしまう。
思いを進めていくうちに自制の柵が心に構築されていった。そもそも住む世界が違う高根の花の女だ。誘いはあくまでも彼女の厚意として受け取って行動しよう。辞退して帰るほうがいいだろう。
調律が終わって仕上げに外装を磨いていると久美子がお茶の支度をしている音が聞こえてきた。
「そろそろですか?」
「はい、もう終わります」
「こちらへどうぞ」
振り向いて、
「あ……」
思わず声を洩らしたのは彼女の服装が変わっていたからである。
デニムのミニスカートに白のTシャツ。これまでのイメージからは想像できないラフな装いである。数段若く見え、愛らしささえ漂うが、品の良さは何を着てもきらきらと眩い。
「いや、驚きました」
「これ?こっちにいる時はこんな恰好なんです。年甲斐もなく」
「お似合いですよ。ほんとに」
「ありがとう……」
テーブルに近寄って、彼は目を逸らした。
(下着を着けていない……)
胸にたしかな突起。そして動きに合わせて揺れる膨らみの弾み具合。さほど大きくはないが薄い布地を通した乳房は生々しい。
片倉はふたたび迷い始めた。
(見せている……)
そう解釈する以外、あり得ないではないか。……ということは……。
「軽井沢はいらしたことありますの?」
「学生時代に何度か。銀座をぶらぶら歩いただけですが」
「いいところがたくさんありますのよ」
久美子はにこやかに近辺の見どころなどを喋り始めた。
はっきり確認すべき時がやってきた。
「ごちそうになりました」
領収書をテーブルに置いた。
「お支払ね。今日はほんとうにありがとうございました」
「こちらこそ」
代金を受け取りながら、
「新幹線の時刻表はありますか?」
訊ねたとたん、久美子の顔が変わった。笑顔が消えた。
「どういうことですの?明日のですか?」
「いえ、そろそろ失礼しようかと……」
「何をおっしゃるの。泊ってくださるって……。そのつもりであたし……」
うろたえを見せる有様である。
「ほんとに、いいんでしょうか」
久美子は答えず、腕を組んで乳房を絞るように体を震わせた。突然こみ上げたのか、顔が紅く染まった。
「あたし、思い切ったのよ……。こんな恰好……」
こんな、とは、ノーブラのことだと理解した。
(そのつもり、なのだ)
うなだれた久美子を見ながらためらいは消えていた。抑えに抑えていた感情が溢れだして、気がつくと久美子の後ろに立っていた。
「奥さん……」
その肩が上下に揺れている。透けるほどに白いうなじ。
(もうかまわない……)
肩に手を置いたとたんぴくっと弾けた体を包み込むように抱いた。
「ああ……片倉さん……」