玄武の思惑-1
春日一刀流の創始者は春日幻斎であり、彼には4人の高弟がいた。
それぞれ月形龍鬼・広川白虎・黒田玄武・桜庭鵬山と名乗り一刀流を広めた。
中でも桜庭鵬山は弟子としては4番目だが、人を集める才覚があって一番大きな道場を経営していた。
1番の兄弟子の月形龍鬼は少数精鋭で弟子は2人しかいなかった。
白虎は12人、玄武は8人で鵬山が128人となれば頷けるだろう。
その鵬山の桜庭道場の奥の間に黒田玄武と8人の弟子が座っていた。
鵬山も玄武を上座に座らせている。一番下座に座らされているのは浅岡啓次郎であった。
心労の為か以前よりやつれた様子の啓次郎に玄武は問い詰めた。
「何故に戦わずして降伏したのだ。お前はこの春日一刀流の目録を手にした者であろう?」
「は……面目ございません。申し開きすることもできません」
「まあ、待て。申し開きしてみよ。いったいその多田琴音という女剣士はそれほど凄いのか?」
恥じ入って俯く啓次郎に鵬山は助け舟を出した。
「兄弟子、それが女とも人とも思えぬ鬼神の如き動きでして。いきなり5尺は飛び上がり大上段に打ち下ろしたのです。」
「上段受けはしただろうな」
「はい、それが確かに受けたのですがまるで薪を割るように額を割って……」
「その女は身の丈5尺足らずと言わなかったか?」
「はい、中肉の小柄な女です」
「ふむ……それと次の3人も太刀を合わせずに倒したと……」
「はい気合を一声する間、小手・胴・横面と切れ目なく一陣の風が吹き抜けるように……」
「太刀を合わせずに打つのは一対一でなら可能なこともあろうが、それとて技量にかなりの差がなければできぬこと」
その時、啓次郎が恐る恐る口を利いた。
「拙者如きが口を挟むことではないのですが、多田琴音は闇討ちのときに受け太刀せずに2人を斬ったそうです。
けれども太刀を合わせると体勢が崩れ力負けしていたと聞きます。
それが僅か半年の後には、3人を受け太刀せずに斬り、剣を交えたときには刀を弾き飛ばすほどの膂力がついていたのです。
明らかに謎の老剣客の稽古を受けて上達したと……」
そこまで言うと啓次郎は再び頭を下げた。
「無角流の佐野無角……」
そう言ったのは玄武だった。
「小兵ながら人並み外れた膂力を持ち、受け太刀せずに3人まで斬るという。そして跳べば6尺の高さ。諸国を放浪しながら宿を借りて剣技を授けるというところまで共通する」
「兄弟子、無角流とはどんな剣法ですか?」
玄武は思い出すように虚空を見上げた。
「さよう……一度だけ無角流をかじった者の型を見たことがある。
型を練習することが基本らしい。その剣捌きは2種類あって柳の枝のように剣を掻い潜って受け太刀を避ける型『水流』。も一つは膂力を持って敢えて太刀を合わせる型『破の剣』。
その多田という女剣士が受け太刀を避ける剣捌きを得意とするなら、『水流』を会得する下地ができていたのであろう。
しかし受け太刀を嫌っていたのにも拘らず僅か半年で『破の剣』を身につけたとは驚きというしかない。
ところで浅岡、お前は試合のときに『野分(のわき)』を使ったそうだな。それは我が一刀流でも必殺の剣だ。それが破られたと言うのか」
「は……一瞬背を向けたかと思えば右首筋に当てられました。話には聞いたことがありますが、『風車(ふうしゃ)』という技ではないかと」
「『風車』は確か『山颪(やまおろし)』を破った秘技として恐れられていたものだ。
『山颪』はおぬしも知っておるように、剣先に相手を集中させ足先を相手に近づけた後一気に入れる突き技だ。
突きが来ることを相手が悟れば『風車』で破ることも考えられる。だが『野分』は呼吸を読まれなければ相手には悟られない。
一気に呼気とともに跳んで突く必殺の技だ。
『吹き飛ばす 石は浅間の 野分かな』という芭蕉翁の句から幻斎先生が名づけられた技だ。
今だかって『野分』を『風車』が破ったとは聞いたことがない。確か『風車』は昔の剣客で実松藤太という者が使ったと聞いた」
「「あっ」」これには鵬山も啓次郎も驚いた。
鵬山は玄武に言った。
「多田琴音は実松道場の元師範代です。道場主は実松某とかいう年寄りで……」
「ばか者。それが実松藤太に違いない。今生きていれば70の齢に達してる筈。
兵法者なら敵を知り己を知るべきであろう。
しかし恐るべきはその多田琴音という女剣士。
『野分』を破る『風車』を使うとは、我が武門の行く手に立ちふさがる妨げとなることだろう。
そればかりではない。
佐野無角の無角流も納めたならば、早いうちになんとかせねばただの妨げですまなくなる」
その言葉に不安そうな面持ちになった啓次郎を見て、玄武は急に品のない笑いを見せた。
「ところでその琴音とかいう女、筑島藩では『今小町』と歌われるほどの美形だとな?
自分より強いものを婿に迎えたいとも言っておるそうな。
だとすればこのわしがその者を打ち負かせば、栄誉と美人の両方を手にいれることになるではないか。
それほどの美人なら妻を離縁して婿にしてもらおうではないか」