再会-3
沼田の前に座っているのは奈津子だった。
沼田が何か言うたびに頭を垂れる。遠くの方に天敵の気配を感じた草食動物のように石橋は、テーブルを挟んで座っている二人を見つめていた。沼田は短い指で奈津子の後方を指差した。遠くからなので奈津子の表情は確認できないが、深刻な気配は感じた。
沼田が立ち上がり促すと奈津子がのろのろと続く。後ろを振り向く沼田の顔に笑みが顔に張り付いていた。顔がでかいのでこんな遠くからでも表情がわかる。奈津子は周囲にそっと目を配る。知っている人がいやしないかとビクビクしているせいだろう。石橋はそれを見て全身の皮膚が粟立った。並んでいる人たちを避けるため体を横にしてカニのように進んだ。
沼田はエレベーターの前で立ち止まり、奈津子に一言声をかけて中に入った。二人はこちらに体を向けているが、奈津子はうつむいている。沼田が短い腕をボタンに伸ばした。
石橋は通路に置いてあるテーブルの上から旅行会社の厚めのパンフレットを鷲づかみにした。それで顔を隠して大股で近づいていった。胸ポケットからケータイを取り出して耳にあてた。沼田が他人を乗せたくないため、ボタンをぱちぱちと押している。石橋は顔の前でパンフレットを開き、それを見て電話をするふりをしながら閉まる寸前に尻の方から体をすべり込ませた。沼田と奈津子は隅の方に移動した。まさか目の前に立っているのが石橋だとはゆめゆめ思っていないだろう。緊張して奥歯がかちかちと鳴った。
ゆっくりとドアが閉まった。そのとき、バサバサ、ドンと音がした。石橋の手からパンフレットとケータイが床に落ちたのだ。後方で布のこすれる音がした。きっと奈津子が落とした物を拾おうとしているのだろう。そういう女性だ。
「僕のせいです。全部」
静まりかえったエレベーターの中で石橋は突然声を出した。奈津子が息を呑むのが聞こえ、硬く目を瞑った。石橋は整列した自衛隊のようにくるりと振り向いた。奈津子の小さな悲鳴と、沼田の「んごっ!」という鼾のような声がした。
「何をしているんですか?」
怒りと悲しみが胸をおそう。五秒くらいの沈黙が続き「な、なにって、なに、なにもだけど、な、なにが……」と、口ごもりながら沼田は答えた。石橋はうつむいていた顔を少しだけあげた。一歩下がった奈津子は胸に手を当てている。直視することはできないが、こんなに近くで奈津子を感じるのは何十年ぶりだろう。感動で胸が震えた。
沼田は禿げた頭部まで赤くして足踏みしをしていた。鼻の穴を広げて口をへの字に曲げ、今にも泣き出しそうな顔で口を開いた。
「わ、わたしは上のレストランに行く予定ですよ。も、もちろん、一人で、です」
横をチラッと見て、奈津子と視線が合った沼田は慌てて足踏みを止めた。
「なんで、ここにいるんだ」
沼田が開き直ろうとする。
「僕は、許さない、ですから」
石橋はゆっくりと沼田に視線を当てた。沼田は虚勢を張っていたが、たちまち怯えた表情になる。表情がころころと変化する。
「何を言っているんです、君は。そ、そんなんじゃないんです」
沼田はたじろぐ。ドアが開くと「では失礼します。すみません、すみません」と言いながら転げるように外へ出た。そのままどたどたと足音を立てて走り去った。