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蔵の嗚咽
【近親相姦 官能小説】

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第一章-1

 池袋で西武線に乗り換える。特急に乗れば一時間半ほどで秩父に着く。少し考えて各駅停車に乗り込んだ。
(急ぐことはない……)
飯能行きなので途中で乗り換えなければならないが、それでもいいと思った。

 父の実家に行くのは大学二年の時以来だから十年ぶりのことである。
(忌まわしい家……)
心の呟きは胸底に沈み込む。動き始めた電車の振動に揺られながら、私は胃の腑の辺りにもたれたような重さを感じていた。

 父の実家は秩父でも指折りの商家であったらしい。
「三日歩いてもまだ余る山を持っていた」
父がよく言っていた。親から聞かされていたのだろう。
 商いで扱っていたのは絹織物で、養蚕には直接関わらず、買い継ぎを生業としていたという。特に明治から大正にかけては盛んで、多くの使用人を抱え、莫大な利益を上げたようである。

 隆昌に陰りが出始めたのは外国から安価な絹が輸入されるようになってきたからだが、それでも堅実に商売をしていれば大きく家が傾くこともなかったかもしれない。手を広げすぎたようだ。金融相場、投資など欲が欲を呼び、没落の道を辿った。借金のために土地は切り売りされ、数年で廃業する結果となった。曾祖父の時代の話である。

 今の家屋敷は当時の十分の一にも満たないと聞いたことがある。それでも往時を偲ばせる風格を持っている。いかに富豪であったかがうかがえる。
 祖父は公務員になり、伯父も教員になった。地道な生活が今の家を支えてきたのかもしれない。
 長男である伯父が家を継ぎ、父は高校を卒業して東京に就職した。一番上に姉がいたらしいが三歳の時に早世して父の記憶にはない。


 東京の下町で生まれ育った私にとって秩父は限りなく魅力にあふれる所だった。魚が群れなす清流。夏はホタルが飛び交い、山に入れば採り切れないほどのカブトムシやクワガタムシ。売っているのではない虫!図鑑でしか見たことがないオオムラサキを何度追いかけたことだろう。一日遊んでいても飽きることがなかった。

 伯父夫婦には子供がなかった。男の子が生まれたらしいが死産だったようで、それ以来授からなかった。詳しいことはわからないが、
「義姉さんはもともと体が弱いから……」
父と母が話していたのを憶えている。

 そんなわけで私は伯父夫婦にとても可愛がられた。
私には二つ違いの兄がいて、秩父へは家族揃って行ったのだが、兄は虫や魚が苦手で私とは正反対であった。神経質なので便所にも一人で行くことが出来ず、母に付き添ってもらっていた。
「帰りたい……」
二泊すると兄は決まって言いだしたものだ。東京生まれの母も蛇やヤモリの棲みついた家は好きではなかったのだろう。それを潮に「おいとま」の口実が言葉の端々に出始める。
「伯母さんにお世話をかけるから」「宿題終わってないんでしょう?」
私は頑として承服しない。こんな面白い所にたった二日しかいないなんて!
 拗ねて待っていると伯父と伯母が助けてくれる。
「隆司だけ残ればいいさ。好きなだけ泊っていきな」
「ほんと?」
「ああ。子供はいっぱい遊んだほうがいい」
母を見ると恐縮して困った顔を見せながらもどこかほっとしていた。
(これで帰ることができる……)
きっとそう思っていたにちがいない。

 そうして一人で自然の宝庫を心ゆくまで堪能することになる。ほぼ毎年そうだった。物ごころついた頃には地元の子供たちとも遊ぶようになって退屈することはなかった。
 十日ほど経つとさすがに母親から電話がくる。八月も半ばを過ぎた頃だ。
「いい加減にしないと。ご迷惑でしょ」
そこでようやく諦めて帰ることになり、伯母が秩父駅まで送ってくれて特急に乗る。遠ざかる山々を見つめながら子供心に物悲しい想いに浸ったものである。
 母は池袋駅で待っていて、怒られると覚悟していると、なぜかいつもより優しかった。後年になって、その頃私を養子に欲しいと伯父から話があったことを聞いた。それほど伯父夫婦は私をわが子のように愛してくれていたし、私も自分の家のように感じていた。


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