孤愁-4
「有村さーん」
歌い終えた美貴は倒れ込むように彼の横に勢いよく座った。
「ああ、気持ちいい。すっきりした」
熱をもった肌の匂いに陶然とした。
(ああ、若い女の匂いだ……)
抱きしめたい衝動が身の内に沸き起こり、寸前で堪えた。
(肩を抱くくらいなら構わないだろうか……)
二人とも酒が入っている。それも『ノリ』ではないのか。下着姿になったのは彼女の意思である。自らさらけ出しているのだ。そう思いながらも『セクハラ』の文字が浮かんできて欲望とせめぎ合いつつ錯綜する。以前、女子社員の肩を叩いただけで冷やかな視線を浴びせられた苦い経験を思い出していた。
「歌わないんですか?」
美貴は媚態ともとれる仕草をみせてしなだれかかってくる。
「あんまり上手いんで圧倒されちゃったよ」
「まあ、お上手」
「本当さ。それに……」
「それに?」
見下ろす位置に胸の谷間が覗いている。体を傾けた体勢は自然にそうなったというより見せつけているようにも思える。考えてみれば、カラオケボックスで下着姿になる女がいるだろうか。
「いや、歌も上手いけど、きれいなんで見とれてしまったんだ」
有村としては精一杯アクセルを踏み込んだ言葉であった。
「そういうこと、誰にでも言うんでしょう?」
「ちがうよ。本当にきれいだと……」
向けられた艶っぽい目つきと濡れた唇はもはや挑発としか思えない。
(体に触れてみよう……)
有村が意を決するより早く美貴の手が伸びてきた。
(!驚いた……)
彼女の手は、ごく自然に、たまたまそこにいったように彼の股間に置かれ、押しつけられた。とたんにむくむくと反応した。美貴と目を合わせ、言葉に詰まった。
「ふふ……よかった……」
美貴はそう言うと手を引いた。
「?……」
「私に感じてくれてるのね」
「それは、もう……」
勃起した股間は久しぶりの硬度である。
信じられない彼女の行動に混乱はきたしていたが、ここまではっきりした言動がある以上ためらう必要はない。だが一抹の不安がよぎる。男としての『自信』である。一年以上前にソープへ行ってからのち、女と接していなかった。
(うまく機能するだろうか……)
衰えた体を自覚しているからこそ掠めていく想いであった。勃起はそこそこ起こるし自慰を行うこともある。しかし若い頃とちがって鬱積した性欲と、いざという時の兆しは必ずしも合致しないことがある。気持ちは充溢しているが……。
「誘ってくれないから、どう思っているのかなって……」
「だって、三日前に会ったばかりだし……」
「その気があればその日だって……。飲んでお店を出たのよ。そうじゃない?」
「でも、若い女性だと考えちゃうよ。こっちはおじさんだし」
「理恵さんとならいいってことかしら?」
「あいつとは何ともないよ」
「そうかしら。なんか、親密」
「ほんとうさ。同級生。それだけの付き合い」
「私、気持ちのまますぐに決めたい人なの」
美貴は真顔である。有村はその瞳に引き寄せられるように彼女の肩を抱き寄せた。
「ほんとに、魅力的だ」
胸元をじっと見詰めた。
妻と夜の営みはない。寝室はともにしているし、日常も穏やかに過ごしている。妻が拒絶したことはなかったが、彼女の体が燃え立つことはなかった。いつしか求める想いはなくなっていた。心の問題なのだと思う。辛いのは自分よりも妻のほうだったろう。夫婦のセックスは愛を交歓するものだと思う。その結晶が子供ということになる。
(子供が産めない……)
妻の心には闇がひろがっていたのだろうか。愛はあっても心が開かない。彼女を抱くことは苦しめることになる。……遠ざかってすでに十年以上経つ。
それにつけても悲しいのは男の性である。妻を思いやりながらも湧き立つ性欲は絶え間なく、苛むように体を巡っていた。