孤愁-3
三日前に出会った時も、思わぬ流れで約束を交わした時も明瞭な情欲はなかった。ただ未知の若い女と知り合えた歓び、さらに二人きりで会う機会を得た僥倖に胸を弾ませていたのである。いつからか自分にはもう縁がないものと諦めていた新鮮なひととき。それが現実となって、目の前にいる美貴から仄かに流れてくる香水の香りを嗅ぐとうなだれていた感情が頭をもたげ始めていた。
女子社員とすれ違う時、満員電車で密着した若い女から漂ってくる匂いを目を閉じてそっと吸い込むことがある。そして疼く想いにしばし酔いしれる。それが小心な中年男の世界である。
いま、二回りも年下の美貴と二人で酒を飲んでいる。男女が二人で酒を飲むという状況はひとつの流れを示唆していると言えなくもない。その先に展開する耽美な世界。有村も何度か経験がある。しかし昔のように想いに任せて誘う度胸はない。下手な言動によっては恥をかくことになるかもしれない。自分の年齢、立場を考えるといやでも自己保身が働いてしまう。
(臆病になった……)
そうなるのは致し方ない。欲望を見透かされることへの体裁もあった。
とりあえず、付き合えるだけで満足すべきではないのか。それが分相応というものだ。もし嫌われたらこんな機会すら二度とこないかもしれない。これだけでも十分楽しいではないか。有村はときおり顔を覗かせる邪心をそっと覆い隠しては理性の笑みを絶やさなかった。
美貴の様子に変化が見られだしたのは二時間ほど経ってからだ。
(酔ってきた……)と思った。急に砕けた口調になってきた。
「有村さん、カラオケ行こう」
「純?」
「ふふ、あそこだと理恵さんが怖いんでしょ?ボックスにしよ。私、有村さんと二人きりがいい」
目の動きもしっかりしているし、足元がふらついてもいない。だが言葉の調子は昂揚している。生ビールを空けてから日本酒を三合ほど飲んでいる。
「けっこう強いんだね」
「言われたことあるけど、ほんとは酔ってるのよ」
「見えないけどね」
「有村さんがいい人だからすすんじゃったの」
言われて嬉しい反面、いい人、という言葉の意味の曖昧さに複雑な思いもあった。淫らなことは考えない誠実な人……。そういうことか。……不埒なことをしてはならないと自身に言い聞かせることを余儀なくさせられる言葉であった。
ところが、美貴は驚くべき変貌を見せた。カラオケルームに入ってほどなく、一曲目の前奏が始まるや、立ち上がってセーターを脱ぎ出したのである。
「暑いわ」
それだけ言うとセーターをソファに投げ捨て、有村に笑いかけ、マイクを片手にくねくねと腰を振ってリズムを取り始めた。
黒のブラジャー姿になった美貴は平然と歌いながら妖しい視線を向けてくる。呆気にとられるばかりであった。
(いったいどうなったんだ……)
痩身であるがくっきりと腰がくびれていて、ヒップのラインが妖艶に回転する。まるでピンサロにきている錯覚に陥る。
「有村さん、ノリが悪いわ」
促されて手拍子を打ってはみたものの、上の空で彼女の体に釘付けになっていた。
下着に包まれた小ぶりの乳房は少々の動きでは揺れない。しかしそれがたまらない。黒い布の内側にひっそりと存在を潜ませているようで想像を掻き立てる。
(乳首は大きいか、色は……)
思い描いているうちに昂ぶってしまった。
この痴態をどう理解したらいいのだろう。いつか彼の目は美貴の全身を舐めていた。