追跡-4
最近は唯一の趣味ともいえるプールへは全く行っていない。あれがあるから女の水着姿を見る必要がなくなったからだ。従って運動不足の石橋は――もともと運動不足ではあるが――早歩きの田倉を尾行しながらゼーゼーしていた。人垣を縫ってグングン歩く田倉との差は開く一方だ。
「歩くのが走るより速いなんて、やっぱり恐ろしい男だ」
息を切らせながら走って追いかけるが、呼吸も心臓も筋肉もほとんど限界であった。
「もうだめだ」
石橋はプルプル震えるひざを押さえて腰を折った。もう追うのは無理だった。明日は、いや明後日は筋肉痛に悩まされることだろう。止まるととたんに汗が噴き出た。汗をぬぐいながら周囲を見回すと、この場所には見覚えがあった。忽然と奈津子が現れた――再会――した場所だ。
ハッとして、はるか前方にいる田倉の姿に視線を当てた。田倉がホテルに入って行くのが見えた。あのとき田倉が出てきたホテルではないか。石橋はにわかに緊張した。ヘトヘトの体に力が漲るのを感じた。小さくガッツポーズを作り「よし」と気合いを入れたはよいが、はて、このあとは? の疑問が生まれた。とりあえずバッグの中をのぞき込み手を入れて、あのとき大活躍したビデオカメラの感触を確かめる。
「残念ながら今日はこいつの活躍はないか……ああ、ホテルに入りたい。入れてくれないかな……無理だろうな」
バッグに向かって「今頃ヤツはホテルの中で進藤さんと逢っているのだろうか。何しているのかな」と話しかけながら、ホテルの中でやることはひとつしかないので泣きそうになる。
途方に暮れ、何気なく後ろを振り向くと一人の女性が歩いてきた。胸の辺りで肩にかけたバッグのショルダーストラップに手を添え、うつむき加減で歩いてきた女性こそ奈津子であった。
石橋は息をのんだ。
行き交う人を気にしている奈津子の視線が、石橋の姿をとらえていることは間違いない。身を隠す場所も逃げる路地もない。くるりと背を向け、例のごとくワイシャツの胸ポケットから急いでケータイを取りだした。落としそうになるが、慌ててキャッチする。話すふりをしながら全神経はヒールの音に集中していた。
近づいて来る足音に緊張し、首がプルプルと震え出す。横を通り過ぎる奈津子の視線を感じたときは、歯の根が合わなかった。
背を向けていたので、はっきりと顔は見られていないはずだ。(でも見られても分からないかもしれない) ――と思い直し哀しみに暮れた。
心の中で(入らないでください!)――と念じていると奈津子はそのホテルの前を通り過ぎていった。胸の内で喝采を叫んだが、人が――不審極まりない石橋が――いたから入らなかった可能性がある、と思い直す。
「そうなのですか?」
奈津子が消えた曲がり角を見つめ問いかけていた。田倉がホテルに入っていったのは事実であり、近くに奈津子がいたのも事実。奈津子が戻ってきたとしてもホテルに入ってしまったら、どうすることもできないのも事実。ともかく石橋がここにいては奈津子はホテルには入れない。それではあまりにかわいそう、という結論に達した。
「もう帰ろう」
緊張が緩むと急におなかがすいてきた。石橋は駅に向かってトボトボと歩き出した。曲がり角でなごり惜しそうに振り返ると、田倉が入っていったホテルに、小走りで入っていく奈津子の姿があった。石橋はボーゼンとした顔で立ちつくしていた。