進展-4
壁に掛かっている電波時計をチラッと仰ぎ、沙也加は立ち上がった。「そろそろ会議の時間です」と言って資料の束をそっと手渡した。田倉は「どうもありがとう」と言って手渡した資料をめくりながら「君も出席して欲しいのだが、いいね」と顔をあげた。沙也加は「承知しています」と笑顔で答える。
会議に同席する理由は外国からの御歴々がきているので通訳というわけである。沙也加を出席させる理由として、実益はもちろんのことだが、秀でた英語力を持つ美人秘書を自慢したい気持ちもあるのだ、と田倉が言っていたことを思い出す。このような褒め言葉は割り引いて聞くことにしている。
ここ数ヶ月、奈津子の話をしなくなった。佐伯の奥さんの名前は田倉から聞いて知っていた。前は逢う約束があるときは沙也加に必ず話したが、最近は皆無である。沙也加からはその件について聞くようなことはしない。今はそんなことはまるでなかったかのようなそぶりである。今までと同様、仕事をバリバリこなしてるので、ほかの社員の目には田倉の仕事ぶりは何ら変わらないと映るだろう。沙也加から見るとそれは違う。食事を誘ってくれた頃の奈津子への思いを、とつとつと語る田倉とは違う。以前はよく冗談も口にしたが、最近は仕事以外の話はまずない。常に接していないと分からないが、現在の田倉は仕事に集中し過ぎている。
いつから変化したかも承知している。前の日と次の日ではまるで別人に見えたからだ。何か大きな変化――進展――があったのだ。想いが成就した可能性があるのでは、と沙也加は思っている。
基本的にはポーカーフェイスだ。その田倉がこうも変わるとは思ってもいなかった。沙也加からは田倉の所作が全て不自然に見えてしかたがない。もっとも頭のいい田倉のことだ、そんなことは百も承知かもしれない。
田倉と佐伯の打ち合せは頻繁にある。田倉はもちろんのこと、接する佐伯の様子は今までと変わりはない。もしそうであれば、発覚していないわけだ。
今の田倉から察するに恐らく奈津子も充実していると思われる。お互い不義と知って続けているのだ。この蜜月がずっと続くとは思えない。会ったことはないが田倉の話からすると、奈津子は女性としても人間的にも魅力的な人物らしい。それは事実だと思っている。
いったい田倉は、奈津子は、この先どうするつもりだろう? やはり盲目なのか。
それは沙也加にも当てはまる。あのときは田倉のことしか考えていなく、他人を慮る事など頭になかった。無神経にアドバイスなどしたではないか。
ため息をつき、沙也加は密かに危惧していた。丸く収まる方法などあるのだろうか。