山だし-9
「女って、初めての時、どういう気持ちなの?」
ある日、からかい気分で訊いたことがある。女の初体験の想いはどんなものなのだろう。
「どうだった?感想は」
問い詰めるつもりはなかった。ほんの軽い気持ちであったが、サトエが真顔になったことで好奇心が湧いてさらに訊いた。よほど思い出に残っているのだろうと興味がそそられたのだった。
「教えてよ。ねえ、いいだろう?」
「忘れたわ……」
「そんなはずはない。教えろよ。俺は初めての姿を見せたんだから」
理屈にもなっていない。意地悪い感情が出てきて執拗に迫っていった。
「聞いてどうするのよ。思い出したくないのよ」
サトエの表情に微かな怒りの色が過った時、私の心に嗜虐的な感情が芽生えた。
「これからもっと深く付き合うんだ。全部知りたいのは当然だろう?教えろ」
頑なな口を開かせてやる。性的関心も相まっていた。
私は怒った振りをしてうつ伏せになって煙草を喫った。
沈黙が流れ、サトエの手が私の腰をさすってきた。
「そういうこと、知らない方がいいのよね……」
私がなおも黙していたのは拗ねていたようなものだった。
サトエは仰向けになってじっと天井を見つめていた。別に聞かなくてもいいと思いはじめた私は、無理を言ったことをどうやって白紙に戻そうかきっかけを探していた。
やがてサトエは抑揚のない口調で語り出した。
「高校三年の時、好きだった人に手紙を書いたの。一年の頃からずっと想ってた人。頭がよくて、生徒会の会長で、合唱部の部長もやってた……」
サトエの顔には表情がなかった。
「その人がいたから、あたし、二年から合唱部にはいったのよ。歌なんか音痴でだめなのに。もてた人だから付き合っている子がいたのも知ってたわ。でも、卒業近くなってどうしても気持ちを伝えたくなった。駄目に決まってるけど、思い出と、自分の想いに区切りをつけるために……」
手紙を出してからはひそむようにして過ごした。会うのが怖かった。クラスは違うし、その頃クラブは引退してたから顔を合わせることはほとんどない。それでも身を縮めるように辺りを窺い、授業が終わると逃げるように学校をあとにした。
嘲われただろう。後悔がよぎった。こんな思いをするんなら書くんじゃなかった。思い出、区切りどころか、一生の汚点になってしまう。
そこまで自分を貶めたある日、彼から返事がきた。
『会いたい……』
信じられなかった。何度読み返したことか。
『君の気持ちを嬉しく思います。一度会ってお話できたらと思っています』
そして場所と日時が記されてあった。
彼と会う!二人きりで会う!
「あたし、泣いたわ。布団に顔を押しつけて……」
山北橋の下、午後七時……。
「山北橋ってね、市内から三キロくらい離れてるの。一月下旬の真冬よ。暗くなったら道は凍っちゃう。自転車じゃ危ないから歩いて行った……」
そんな所で会うなんて、後から考えればおかしいのに、その時は有頂天になっていて寒さも気にならなかった。
「一時間以上かかった……」
サトエは言葉を切ってうつ伏せになった。
「煙草くれる?」
「喫うの?」
「ううん。ふかすだけ。やってみたくなった……」
火をつけてやると口を尖らせて煙を吐いた。