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坂を登りて
【その他 官能小説】

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後編-1

 生まれ育った町を見下ろしながら、
(やっぱり狭い所だな……)と思う。人も少ない。変わったこともほとんどない。それはいいことなのかもしれない。でも、何だか物足りないと思うこともある。そして煩わしさも……。

 石段は二十六段ある。いつも数えながら登るのでおぼえてしまった。故郷で居酒屋を始めたのが二十六の時で、そのこじつけた符号もあって、小夜子は一段一段思い出とともに登る。
 視界が開けて墓地が広がった。二十年ほど前に造成されたもので、少しずつ埋まっていったので新しい墓石も多い。ゼンリョウの寺が造ったのだ。寺内に用地がなくなったので拓いたと聞いた。
(けっこう儲かってるな……)
 彼は寺を継いで住職となっている。昔、両親と兄の通夜、葬儀には父親に付いてやってきて何となく頼りなかったが、三回忌の時は一人で来て立派にお経をあげたので小夜子は感心したものだ。店にもよく飲みに来てくれる。

 小夜子がここへ来るのは父や母に会いに来るのではない。家族の墓は従来からの寺の墓地にある。
 碁盤の目に区画された道を何度か折れ曲がり、墓の前に屈んだ。
「今日はお花持って来なかったけど、いいよね」
(中根先生……)
線香にに火をつけ、合掌して目を閉じた。

 実家の店を開店する時に一番世話になったのは中根である。方々に声をかけてくれて、おかげで開店の日は入り切れないほどの盛況になった。ご祝儀もびっくりするほど包んでくれて、小夜子は感涙してしまった。
 内装の業者を紹介してくれたのも中根であった。幼馴染の人だとかで安く丁寧にやってくれた。

「店の名前はどうするの?」
店を開くと決めて計画を考えていた頃、竹川やゼンリョウたちを含めてわいわいやっていた時に先生が言った。元々の屋号が姓を使った『水戸屋』だったから、そのつもりでいると言うと、
「小夜子の店なんだから考えたほうがいい」
そう言って、
「どうだろう……」と中根が考えたのが、
『一夜(ひとよ)』である。小夜子の一字を取り、
「一は第一女子の一」とは、冗談で、みんなどっと笑った。でも小夜子は気に入ってそれに決めた。何となく意味深で、出会いと別れが同居しているようで、自分に合っていると思った。
「先生、それにする」
「そう……」
中根はなぜか恥ずかしそうに目を伏せた。

 それからしばらくは忙しくててんてこ舞いだった。
どこの店も初めは義理の客で賑わうものである。店内はこじんまりしている。ちょっとした小座敷とテーブルが三つ、それに小さなカウンター。十四、五人も入れば一杯であった。
 それにしても小夜子は一人で切り盛りしていたので不慣れなこともあって失敗続きだった。焼き魚を真っ黒にしてしまったり、燗をした酒を忘れて沸騰寸前にしたり、見かねた仲間が途中から手伝ってくれて本当に助かった。ほとんど知り合いやその友達だったりで文句を言う者もいなかった。仕込んだ料理がなくなっても酒さえあればみんな楽しく笑って騒いでいた。
「ごめんなさい」
何度言ったことだろう。
「料理より小夜ちゃんを見てる方が酒が美味いよ」
「あら、褒めてもらってるんだか、わからないわ」
みんなが楽しいと自分も楽しい。人の心の温かさが身に沁みたことであった。

 中根は開店から連日通ってくれて、客足が遠のいても顔を出して、たいてい看板まで飲んでいた。
 担任だった中根の鮮明な思い出はない。常に穏やかで、怒った顔を見たことがないという、生徒にとっては都合のいい特徴のない先生だった。ただ、小夜子が高校受験の時だけはそれまで見せたことのない厳しい顔で強い調子で言ったものだ。
 第一女子を受けると小夜子が言うと、しばらく黙ったのち、
「落ちたらどうするつもり?」と訊いた。
「東京で就職します」と答えると、中根は目を吊り上げて何度も首を横に振った。
「いかん。それはいかん。県立商業にしなさい。あそこなら絶対だ。それに家の商売の助けにもなる。君は東京なんか行ったらいかん」
いつもの先生とちがうと思ったが、それは背伸びし過ぎた志望校に呆れたからだと思っていた。


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