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坂を登りて
【その他 官能小説】

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前編-10

 それからはアルバイトばかりいくつも職を変えた。そろばんには自信があったので経理の仕事をしばらくしていたが、じっとしていることが苦痛になって辞めた。喫茶店のウエイトレスは面白かったけれど、オーナーの都合で閉店することになってしまった。学生に混じってデパートの配送所にいたこともある。荷物の区分けをする単調な作業だったが、人がたくさんいて楽しかった。この時期、二人目の男を知った。

 石黒哲也は二十二歳の大学生で小夜子は十九歳。齢は上でも石黒は童貞だった。強がりながらも、何もかもがおたおたしていて、小夜子は森中のことを思い浮かべながら傷つけないようにさりげなく導いて男にした。
 真面目なところは森中と重なるところがあった。それだけに女を知って舞い上がるとのめり込んだ。
 だが、一方的であった。相手を想うより、まだ欲望に支配される若さのただ中にいた。激しい割には拙く、いつも小夜子は取り残されて果てた石黒の背をさするのだった。

 満たされない体が灼けるように昂ぶったある夜、小夜子は自ら挑んで我を忘れた。石黒の動きを制して上になり、『自分のため』だけに猛然と動いた。夢中になり過ぎた。石黒にその攻めを耐える経験はない。
「ううっ」
あっという間に呻いて抱きついてきた。はっとして慌てて引き抜いたのはつい避妊を忘れていたからである。最初の噴出を受けてしまったかもしれない。急いで風呂場に行って洗い流した。
(大丈夫だろう……)
だが、たった一度の失敗が新しい命を葬ることになってしまった。……とても重い後悔であった。

 他にも渡り歩いたが、最後のアルバイトは居酒屋である。一番性に合っていたようだ。実家の家業も似たようなものだし、幼い頃から馴染んでいたから雰囲気が好きだったのだろう。
 店は夕方から閉店まで客が引きも切れない繁盛店で、その活気は小夜子を有頂天にさせた。声を出すのが楽しいし、笑うのが気持ちいい。客のほとんどが男だ。
(やっぱり男がいい……)

「小夜ちゃん、お銚子お代り」
「はーい、ただいま」
愛想がよくて生き生きと立ち働く姿は客をも楽しませる。おまけに色香漂う年頃の娘である。小夜子目当ての客も増え、経営者はときおり給料とは別に金一封をくれたりした。
「内緒だよ。頑張ってるから特別。敢闘賞」
「ふふ、お相撲みたい」

 小夜子が目的を持って貯金をするようになったのはこの頃である。
(小さくてもいいからこういうお店を持ちたい……)
頭に浮かんだのは実家の店だった。下の兄が継ぐことになっているが、夜は本格的な飲み屋にして自分がやったらどうだろうと考えたのである。でも、無理だなと思った。兄にも自分のやり方があるだろうし、将来お嫁さんがきたら小姑がいたらやりにくいだろう。自分も思う通りのことが出来ない。
(やっぱり一人でやるしかない……)
そう決めたら金に執着するようになった。休みの日に遊びに行くことも控え、好きなお菓子も我慢するようにした。

 倹約しているうちはよかったが、一度馴染みの客に口説かれて寝た時に二万円もらったことで欲が出てしまった。簡単に果ててしまう年配の男で、二度続ける精力はなく、三十分そこそこで旅館を出てきた。
(これで二万円……)
半月分の給料と同じである。次に誘われた時は、もったいぶって前払いで三万円を手にした。
「あたし、素人よ。そんな女じゃないのよ」
「知ってるよ。だからいいんだよ。この前より上乗せするから」
「お客さん、好きだからサービスするわ」
金を懐に、身を売る女になっていた。
 小夜子は口と手を使って扱きたて、圧倒された男は呆気なく唸って放った。部屋に入って風呂を浴び、それでも一時間もかからない。さすがに男も割り切れなかったようで、
「もい一回いいだろう?」
落ち込んだ顔をして言った。
「いいわ。ゆっくり休んで」
男は小夜子の豊満な体を貪り続けた。しかし復活はならず、疲れ果てて溜息をついた。
(ごめんなさいね……)
小夜子が心で詫びたのは本心である。男を弄ぶ気はさらさらなかった。自分の体に男が夢中になるのは嬉しいし、自分もセックスが好きだ。ただ、金を貯めたい思いが先に立ってしまい、ちょっと狡猾になっていた。自覚していながら、その男の知り合いを紹介された時はもっと悪質になった。
「あたし、誰とでも寝るわけじゃないの」
やはり年配のその男は真面目な印刷会社の社長で妻以外の女を知らないという。それを聞いて欲が膨らんだ。
「そういう商売のところへ行ってよ」
「行ったことがないんだ。あなたはとてもやさしいって聞いたから」
一度だけ、と言って五万円をせしめた。

 そんな乱れた小夜子の動きを感じ取ったのが板前の平石であった。彼女を付け回して見ていたわけではない。勘のようなものだったろう。何より、目つきが悪くなった、とは、後から言われたことだ。
 仕込みが終わった開店前、小夜子は平石に声をかけられた。
「ちょっと、いいかな」
 店の裏に出ると平石は煙草を喫いながらビール箱に腰かけた。
「水戸さん……」
小夜子を姓で呼ぶのは彼だけである。齢は三十くらいだろう。口数が少なくて何となく怖い雰囲気があった。
 小夜子は自分が何か失敗したのかとあれこれ思いを巡らせながら俯いていた。
「店が引けりゃ何をしても自由だけどさ。うちは料理と酒を出す店なんだ」
小夜子は動悸が高鳴ってくるのを感じていた。もしや、と思い始めると顔を上げられずにさらに下を向いた。
「自分を大事にしなよ」
平石はそれだけ言うと店に戻っていった。優しい口調だった。
(全部知られている……)
小夜子は膝が震えて立っていられず、屈み込んだ。どうしていいかわからずに項垂れて頭を抱えた。


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