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栗花晩景
【その他 官能小説】

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秋霖-3

 あくる休日、昼近くまで布団でくすぶっていた。酒が残ってはいたが二日酔いというほどでもない。
 まだ暗いうちに目が覚めて、そのまま寝つかれず、重い体を持て余していた。体よりも気持ちが暗澹としていた。恵子と息子が起きたのも知っていたし、幼稚園へ送り出しに出ていったのもわかっていた。

 昨夜の行動を何度も思い出しては寝返りを打って溜息をついた。
 由美子に送られた玄関で起こった衝動は突然襲ってきたものだった。靴を履いて振り向いた時、あまりに由美子が間近にいた。ぐっと胸が迫り、思わず彼女を抱きしめていた。
「義姉さん……」
「……」
由美子はみじろぎもしない。硬直したまま呼吸さえ聴こえない。すっぽりと包み込んだ小さな体。
 細い項に唇を押しつけた時、由美子はようやく私の胸を押し返して抗った。
「やめて。……恵子さんが待ってるわ。早くしないと……」
押し殺した、叱責する調子だった。
 私は由美子から離れ、目を合わさずに外へ出た。
足元がふらついたのは酒のせいばかりではなかった。膝がかすかに震えていた。

(まずいことをしたな……)
砂をまぶしたような後悔が渦巻いている。しかし一方で、仄かに抱いていた由美子への思慕がはっきりと膨らんできていた。ひそかな想いが動き始めている。義姉と女……その狭間で息苦しくなるのだった。

 隣の部屋に恵子がいる。テレビの音声から十二時になったのがわかった。
寝室を出ると恵子が振り向いた。
「やっと起きた……」
そう言ったように聞こえた。
 テーブルには冷たくなったハムエッグとサラダが置いてある。
ソファに座って背を伸ばす。
「食べるでしょ」
「コーヒー……」
煙草に火をつけて騒々しいワイドショーをぼんやり眺めた。
「ずいぶん飲んだみたいね」
コーヒーカップの置き方であまり機嫌がよくないとわかる。
「義兄さんの友達が来てたから、いつもより飲んだ」
「兄さんも飲んだの?」
「そうだよ。途中でダウンしたけど」
「そうでしょう。弱いんだから」
 恵子はテーブルに移動してトースターにパンをセットすると冷蔵庫からジャムとバターを出してきた。
「義姉さん、またピアノ弾いたの?」
「弾かないよ。釣りの話だから」
「ふうん、そう……」
私はその言い方に少しむっとして煙草を揉み消した。恵子は黙り込んだ私を見つめながらパンを食べ出した。
「あたしはお昼……」
少し顎を突き出し、何だかまずそうに食べていた。
「あとで買い物付き合ってよ。重い物あるんだから」
まるで罰を与えるような言い方に聞こえた。


 気が重かった翌日、由美子の様子は一見ふだんと変わりがなかったが、不安だったのは義兄のことだ。由美子が私の行為を告げ口するとは思えない。思いながらも内心怖かった。だから朝礼が終わって彼に手まねきされた時は身が竦んですぐに立ちあがれなかったほどだ。

 義兄は笑っていた。
「古い渓流竿、あげるから。わざわざ買わなくていいよ」
今度出かける予定のヤマメ釣りのことだった。
 ほっとして話を聞きながら何気なく由美子に目を向けると私を見ていた。先に視線を外したのは私の方である。抱きしめた人妻の夫と談笑している居心地の悪さといったらない。聞いている内容も耳に入らなかった。

 その後も、もやもやとした気持ちのまま、月に二度ほどの割で訪問は続いた。
「俺は、大勢でわいわい行くのは好きじゃないんだ。それに海釣りは好みに合わないし」
海釣りはみんなで乗合船で行くらしい。同好会の会員でありながら、次兄は気の置けない少人数で出掛けるのを好んでいる。だから海釣りの時は欠席して一人でも川へ出かけて行くようだ。最近は私が手頃なお供になっていた。

 訪問が重なることで由美子への想いはますます大きくなっていく。不意の抱擁が結果的に二人だけの秘密になったことも心を乱す要因にもなっていたと思う。胸に抱えた彼女の感触ははっきりと残っている。髪の香り、肌の匂い。家の中には由美子の匂いがある。

 義姉弟である。あからさまな行動は慎まなければならない。わかっている。行きずりの他人ではない。事を起して露見すれば、いや、たとえ何もなくても横恋慕の疑惑だけでも、兄妹、夫婦に溝はできる。わかっている……。

「釣りに引き込んじゃって、恵子さん怒ってない?」
「いえ、いない方が気楽でいいんじゃないですか。いつもごちそうになって申しわけないって言ってます」
答えてから頭に浮かんだのは、近頃帰宅してから必ず口にする皮肉めいた言葉である。次兄の家に寄った日はいつもそうだった。
「今日はどんな料理だった?あたしとちがって由美子義姉さん上手だから、美味しかったでしょうね」
また、
「由美子義姉さんがピアノを弾いてる姿って、優雅でしょうね。あたしはがさつだからとても真似できないわ」
 素直な言い方ではなく、独り言のように、しかも語尾を少し伸ばして言うのである。私は何も答えず黙っている。
 私の心の内を恵子が察知しているとは思えない。だが女の勘ということもある。それとも嫉妬なのか。私が聞き流していることがなおさら面白くないのかもしれない。
 そんな恵子の厭味な物言いは逆に反発となって由美子への恋情を大きくすることにつながっていった。


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