トオルの場合-1
「知らぬが仏って言うじゃない。知らない方が幸せってこともあるのよ」
スナック「甘茶」のママ美佐子はトオルにそう言った。
「ママは知ってるんだろう？ カエデに何があったか？ どうして死んだのか」
ママはカウンターから出て店の看板をしまうと、内側から鍵をかけた。
「あんたがどうしても知りたいなら、体を張って聞き出してごらん」
トオルは残っていたグラスのウィスキーを飲み干すとママに近づいた。
「良いだろう。若い男の体と引き換えに、知ってることを全部教えてくれ」
婚約者のカエデが風呂場で自殺して死んでいたという知らせを聞いて、トオルは本町から１０キロ離れた村にタクシーで駆けつけた。
自殺の為、忌中の札も下げていなかったが、狭い村のことだから何人も村人が線香を上げに来ていた。
そのとき、見たくもない男達と顔を合わせた。
村の郵便局長の青田と缶詰会社の社長の大山だ。
なにかギラギラした目でトオルを見ていたが手招きして外に呼び出すと、青田が言った。
「カエデがどうして死んだのかわかるか？ そうか知らないんだ。
駄目じゃないか婚約者１人も守れないで。だらしがないぞ」
勝手にそう喋ってから何故かほっとした顔をして去って行く。
そのとき大山が強い力でトオルの背中を叩いた。
「よそ者はだから頼りにならないんだ。カエデにもやめておけと言ったんだがな。
もうここにはいない方がいいぞ。さっさと出て行くんだな」
待たせていたタクシーに乗ろうと道路に向かう途中、村の若者の佐藤に会った。
カエデと同級生だったらしい男だが、顔を合わすたびに嫌味を言ったりしてくる。
すれ違いざまにこんなことを言った。
「良かったな。死ぬ前にやっといて。……お互いにな」
トオルは走り出したタクシーの中で考えた。
最初の言葉は下品なこの村の男が言いそうな言葉だ。
耳の汚れになるから忘れてしまえば良い。
だが最後の一言はただごとではない。
もしかしてカエデはやられたのか？
だけど本人が死んでいては、合意の上だったとかなんとでも誤魔化せる。
だからこそ大胆に言ったのだ。生き証人は死んでしまったから。
「やっぱり若い男の体は良いね。約束だから知ってることを全部教えるよ
あんたがこの夏カエデと一緒に裏山の廃屋に行ったのは覚えているね。
そのとき初めてカエデを抱いたんだろう？」
美佐子は半裸の体のままタバコに火をつけた。
トオルは思い出した。このときは２人で村から歩いてそこで愛し合ったのだ。
その後トオルはトイレをしたくなって、少し離れた所に用を足しに行った。
町育ちのトオルは山の中とは言え、野糞の習慣はないから場所選びに時間がかかった。
戻って行くとカエデの声が聞こえた。他にも何人かの声が聞こえる。
「カエデさん、誰か来ているの？」
声をかけると咄嗟に沈黙があって、それから何か低く囁く声。そしてカエデの声がした。
「悪いけど、大事な話をしてるから、先に帰っててくれる？ 」
トオルはカエデとは違ってこの村ではよそ者だ。
そう言われれば従わざるを得ない気持ちになった。
「わかった。君の家で待ってるから」
「待ってなくて良い。タクシー呼んで町に帰って」
「そうかい……」
そのとき、佐藤の声が聞こえた。
「なんだったら俺がトラックで送ってやっても良いんだぜ」
それに合わせて、数人の男達の忍び笑いが聞こえた。
「余計なことは言わないで！ トオルさんさようなら」
それに合わせて数人の男が鸚鵡返しに同じ言葉を言って笑った。
「トオルさん、さようなら」「さようなら、へへへ」「くすくす」
何かとても不愉快な気持ちになり、その怒りがカエデに対しても湧き上がりトオルは一目散にその場を去った。