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やわらかな光り
【その他 官能小説】

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やわらかな光り-10

(10)


 時間にすればほんのわずかだが、紀子は意識を失ったようだ。
はっとして頭を起こした。
「すみません……」
我に返って慌てた様子である。起き上がろうとするのを制して横に抱いた。
「あたし、なんだか、おかしくなっちゃって……」
まだ整わない呼吸で言葉が途切れる。
「いいよ。すてきだったよ」
「恥ずかしい……今度はあたしが……」
「ちょっと休もう」
煙草と灰皿を引き寄せると紀子はテーブルの残り酒を持ってきた。
「冷蔵庫のビールを飲もう。一緒に」
「はい」
「電気つけてもいいだろう?」
「……はい……」
乱れた髪を手で梳いて微笑んだ。

 ビールを飲みながら、紀子の表情が変化していることに気づいた。仲居の愛想笑いがなくなり、すっきりした素の笑顔が見える。装いのない自然な眼差しと言ったらいいのか。豊かな乳房も笑って見える。
 胸は露だが横座りした下半身は布団の端でさりげなく被っている。私は胡坐をかいてさらけ出したままだ。
 くすっと紀子が笑った。
「隠してくださいよ」
「なんで?」
「だって……」
「気になる?」
「なりますよ」
明りに照らし出された裸身は眩しくさえある。

「お客さんと、こういうこと、初めてです……」
「それは幸運だな」
「そんな……こんなデブなのに……」
「何言ってるの。女らしくて魅力的だよ。痩せたのは色気がない」
「……やさしいんですね……」
煙草に火をつけようとすると紀子がライターを点けた。

「紀子さんは、独身?」
「ええ、今は……」
「住み込みなら楽でいいね」
「それがけっこう煩わしいんですよ。あまり近すぎて」
「そうか。そうかもしれない」
紀子はビールを半分ほど空けて、一息ついた。

「前は飯山にいたんです」
考えるように俯いて、またビールを口にした。
「飯山……」
行ったことはないが位置関係は描くことができる。
「長野の上のほうだね」
「はい。生まれ故郷です」

 東京の女子大を出て小学校の教員になった。飯山で職に就いたのは故郷という理由だけではない。
「あたし、鈍いから、都会の子供についていけないっていうか、苦手で……」
 そのままあっという間に十年が過ぎ、初めて見合いをしたのは三十を過ぎてからだった。それまで話がなかったわけではないが、持ち込まれる相手は自分よりずっと年上ばかりで、
「中には父親と二つしか違わない人もいました。田舎なので相手がいないんです」
 会う前に断っているうちにそんな齢になってしまった。

 決めた相手は市内の寺の住職で同い年だった。年齢が同じでも育った地区がちがうので初対面ではあったが、駅かどこかですれ違ったことがあったかもしれない。そんなことで親近感がわいて、それに、
「口数が少なくて、大人しそうに見えたので……」
子供が出来るまで仕事を続けていいと言うし、自分の年齢とこれからの出会いの可能性を考えて決心した。

 たしかに、大人しかった。だが、思いやりがなかった。
「あたしたち、二人とも初めてだったんです……」
夫は歓喜に震え、
「あたしも嬉しくて、夢中になりました……」
 やがて蜜月の甘い幸福感はどこかに消えてしまった。
「あたし、まるで道具でした……」
夫の情欲は度を越していった。催せばいつでも強引に押し倒された。常に一方的で、時には、
「アノ日でもお構いなしで……」
拒否すると殴られ、流れる血を見て昂奮していた。異常さに恐怖を覚えた。
「夫婦なのに犯されてるって思いました」
紀子は無理に作った笑いを浮かべて私のコップに酌をした。

「とても言えない変なこともいろいろされました。辛かったです……」
体が壊れてしまう……。
 二年我慢して家を飛び出したものの、親にも打ち明けることが出来ず、
「仕事も辞めました……」
「仕事は続ければよかったのに」
「無理ですよ。家を勝手に飛び出した嫁としか世間は見ないでしょう。小学校の教師って、田舎ではまだ特別な存在なんです。いられませんよ……」
 親の前では訳は何も言わず、とにかく離婚したいと泣き通した。
「怒らなかったですね。何かを感じたのでしょうね……」
「辛い話はもうよそう」
「はい。すみません……」

 私は腹這いになって枕に顎をのせた。紀子が添い寝をするように横につき、私の背を摩ってきた。

(思いやり……)
紀子の言葉が頭にこびりついていた。心に小さなさざ波が立ち、消えない。
 自分を振り返り、『笑顔』を探した。玲子、妻。顔がぼんやりしてしまう。妻の笑顔。夫婦としての笑顔。……無くなったと思う。

 いつから明るい笑顔が消えたのだろう。いや、その前に自分はどうだったのか。記憶をたどると自分こそ、ここ数年心底笑ったことがない。妻に笑顔を見せたことがない。

 紀子が身を起して私の上に跨ろうとした。
「いいですか?」
「うん。でも、アレがないから……」
「あります……」
駅の近くの販売機で買ってきたと言った。
「駅まで行ったのか……」
 四つん這いになってテーブルの下まで行き、畳んだスカートの裾を捲ると、それは裏側にクリップで留めてあった。
「ふふ……」
照れ臭そうに笑った。


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