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やわらかな光り
【その他 官能小説】

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やわらかな光り-1

(1)


 宿は、土産物屋などが立ち並ぶ町の中心を抜け、さらに温泉街の外れからやや急な坂を登った高台にあった。
 部屋の窓からは、駅から細長く伸びた街並みが一望できる。遠方には田園地帯が広がり、傾きかけた秋の日差しが山の端を掠めて照らしていた。

 この温泉町には一人旅の客に人気の旅館があって、そこへ泊まるつもりだったのだが、問い合わせると週末はふた月待ち、平日でもかなり埋まっていて自分の都合と合わない。思い立ったのが三日前なのだからどうしようもないが、それにしてもそこまで人気があるとは思わなかった。
 その際、インターネットでキャンセル待ちの登録をすれば空き室ができた場合、連絡すると言われて話だけ聞いて電話を切った。

(パソコンか……)
いまさらではあるが、自分が若い頃とは広告媒体から契約方法までまるでちがっている。本や雑誌の案内を楽しみながら、あの地かの地に思いを馳せる時代ではなくなっている。
 私はパソコンが好きではない。これまでも仕事上必要最小限の使用に留めてきた。かつて、周囲に比べると早い時期にパソコンを購入した。仕事のためと意気込んだのだが、結局、機能のほとんどを使い切れず、写真の保存や映像の鑑賞にしか開かなくなった。

 この春、重役待遇の総務部長職を定年退職し、社内規定によって相談役の肩書であと七年会社に残ることができる。
 相談役といえば聞こえはいいが、実態はパートタイムのようなもので、週五日、朝九時から五時まで、仕事は主に社内外文書のチェック業務である。会議にも出席するが発言する機会はまずない。功労的意味合いの立場であった。

 相談役室として小部屋が宛がわれている。以前は現役時のフロアの一画に申し訳程度の衝立で仕切ったデスクがあったのだが、いつからか別室ということになった。これは一見厚遇のようでもあるが、現場の社員に気を遣わせないためである。退いたとはいえ上司だった顔が見えるのは気になるものである。自分にも経験がある。

(これから七年……)
それは長いというべきか、これまでのように吹き抜けていってしまうのか。
 七年経つと私は六十七歳になる。人生の終盤である。人生を棄てていくことになりはしないか。足腰が丈夫なのも今のうちだ。何か趣味でも見つけて楽しんだほうがいいのか。そんな気にもなる。

 私の知る限り重役特典の『七年』を全うした人はいない。たいてい二年前後で自ら去っていく。おそらく自分の存在感を見い出せず、居たたまれなくなるのだと思う。
 七年の間、現役時の五割の給料をもらえる。これは大きい。他に勤め口を求めても、この条件と同等の仕事は皆無といっていい。それどころか仕事すら見つかるまい。いま辞めても何とか生活はやっていけるが、家にいると何をしていいかわからず落ち着かない。
(このご時世……)
職があるだけ幸せなのはわかっているが、気持ちの張りがなくなるのは何とも寂しい。

 文書のチェックといってもさほどの量ではないし、目を通して確認印を押すだけである。だからなおさら今はパソコンからより遠のいた。
 妻は友人が経営する輸入雑貨の会社に勤めていてパソコンは自在に操っているようだが、頼む気にはなれなかった。
 せっかく滅多にない旅に出るというのに手元のキーボードの操作で予約するなんて、何とも味気ない。便利、簡単、優遇。……それらがすべてと言わんばかり……。負け惜しみを自覚しつつ、学生時代のように行きあたりばったりで行こうと決めた。


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