夏雲-1
翌年の夏、私は今泉の故郷を訪ねた。彼の実家は長野県の佐久市にある。鯉が名産で美味いから食べにこないかと誘われたのである。
「冬が旬だけど水がきれいだから夏でも臭みがないんだ」
それだけで訪れる気になったわけではない。返事をためらっていると、
「いろいろ案内するよ。小諸とか、ちょっと行けば軽井沢も面白いぞ」
いつもは割と冷めた男なのだが珍しく執拗に言う。
「夜通し飲もうぜ」
たまには旅行気分もいいかと根負けした格好で承知した。
どうも様子がおかしい。機嫌がいい。良すぎる。実家の彼の部屋で飲み始めてからその訳がわかった。私に話したくてうずうずしていたのだ。
彼の話から受けた衝撃は私の心の根深い部分に突き刺さった。そこは、わずかな圧迫にも歪んでしまうほど繊細で、それだけに却って実感が薄く、聞いていて夢のような気がしていた。
「三原とヤッタぞ」
「……」
今泉はビールを飲み干し、したり顔で言った。
(恵子……)
その時に浮かんだ彼女の顔は、鼻持ちならない大学生ではなく私が憧れた中学生の恵子であった。
「すぐやらせると思ったけどけっこう時間がかかったな」
私は笑って聞いていたが、ショックのあまりこめかみに痛みを覚えていた。裸体を今泉の前にさらけ出し、股を開いて折り重なって結合している恵子の姿が浮かんだ。
「処女じゃなかった。予想はしてたけどな」
「そうか……」
やりどころのない複雑な想いが胸を圧してくる。嫉妬や憎悪、虚無。他にも思考の届かない何かが織りなして心がざわめいている。
ラブレターまで出して思い続けていた恵子。再会してみてイメージは崩れたとはいえ初恋の彼女は消え去ってはいない。
その恵子を奪われ、その上、まだ経験のない自身への不甲斐無さが重くのしかかっていた。ややあって、
「小林とはどうなんだ?もう済んだのか?」
今泉が上目使いで私をうかがった。
「さあ、どうだろうな……」
私は笑ってごまかしながら、わざと意味深長な目つきをしてみせた。今泉は笑いを浮かべながら探るように私を見据えた。
晴香との仲が学園祭以降、さらに深まったのはたしかなことだ。学校を離れると私たちは軽く腕を組んで歩いた。夜遅くなって送って行った時など、彼女は密着して私にもたれかかってきたりもした。はたから見れば恋人同士に見えたことと思う。
それなのにまだ唇に触れてもいない。
ある夜、家の近くまで来て、
「母に会う?」と訊かれたことがある。
「いや、時間が遅いから……」
まだ九時過ぎ。挨拶をするのに非礼とはならないだろう。
「また、こんど……」
「そう……」
少し歩いて振り返ると晴香がじっと見ていた。
したたか飲んで布団に横になり、今泉は煙草に火をつけて大きく煙を吐いた。
「俺の初体験の話、聞く?」
唐突なことにちょっと苦笑しながら、
「聞きたいな」
私も腹這いになって煙草に火をつけた。もう夜中になろうとしていた。