夏雲-2
新学期が始まった。しばらくぶりに会った恵子はかなり派手な出で立ちに変わっていた。以前はしていなかったアイシャドウに付けまつげ、ピンク系の口紅が妖艶に唇を濡らしていた。ミニスカートは際どいまでに短い。とても学生には見えない。
「艶やかだな……」
からかったつもりで言ったのだが、彼女は褒め言葉と受け取ったようだ。
「ありがとう」
ずいぶんしおらしい。手なずけられたペットみたいだ。
「今日はどうして?」
「うん。休講でね。暇だったから……」
今泉に会いにきたのかと言おうとして先手を打たれた。
「順調みたいじゃない、晴香と」
「まあ、それはお互いに」
「晴香から聞いたの?」
「今泉だよ。かなり親密みたいで、けっこうなことで」
冷やかして言うと、恵子はほんの一瞬恥じらう表情をみせた。その変化は私には辛かった。
私が煙草を咥えると恵子もバッグから取り出した。
「喫うんだ」
「もう二十歳だもの」
「それはそうだけど……」
恵子の煙草はあまり様になっていないと思った。
(みんな変わっていくんだ……)
ふと物悲しい想いに捉われた。
今泉の姿が見えて、恵子は思わず腰を浮かせて小さく手を振った。
「休講だから、来ちゃった」
甘えた口ぶりに今泉はにやけた顔でうなずいた。
「学食で食うか?」
私と恵子に言ったものだ。
「俺はあとで……」
答えてから時計を見た。
「晴香と待ち合わせでしょ」
「じゃあ俺たちは外へ行くか」
今泉が歩き出すと恵子はいそいそと後に従った。中庭から校門の方へ曲がる時、恵子はさりげなく今泉の腕を取り、私を振り返って首をすくめた。
晴香と酒を飲むようになったのは二十歳を過ぎてからだからまだ最近のことだ。
彼女の授業が七時近くなる日が週に一度あって、その日は食事をしてから家まで送る習慣になっていた。
ロビーで待っていると、晴香は必ず小走りに駆け寄ってくる。
「ごめんね」
息を弾ませて言う。その時の晴香がたまらなく可愛い。
ところがこのところ俯きながらゆっくりと歩いてくるようになった。心なしか口数も少なくなった気がする。時に物憂い眼差しを見せたり、会話の途中で反応が途切れることもあった。私は言い知れぬ不安を覚え始めていた。
その日も伏せ目がちだった彼女はひそめた声で言った。
「三原さんたち、二人で旅行に行ったんですって……」
「今泉と?」
晴香はこっくりと頷き、私にきつい目を向けた。
「知ってたの?」
「今泉から聞いた……」
二人が深い関係になったのはすでに知っていたことだが晴香は最近耳にしたようだ。
「旅行か……どこに行ったんだろう……」
私の言葉は自分でも間が抜けていると思った。晴香が真剣な顔で言ったのは二人の関係を意味しているわけで、行先はどうでもいいことなのだ。
晴香は押し黙ってしまった。彼女の様子を眺めながら、私の心は微動し始めていた。
知り合って一年になる。その間、私は常に情欲を感じていたといっていい。腕を組んでいる時も反応していたし、抱きすくめたい衝動にかられたことは何度もあった。別れ際は特に気持ちが昂揚して言葉が出てこないほど胸が詰まった。
それなのに突き進めない自分が歯がゆかった。自問するまでもなく、そこには『怖れ』があった。彼女の真意を見極める自信がなかったのだ。私をすんなり受け入れてくれるのか、判断がつかなかった。もし、想いの深さと求める形に相違があったとしたら、彼女を失ってしまうかもしれない。……
迷いの根底にははっきりと美紗が横たわっていた。未経験だったとはいえ、あまりにも惨めな結果がセックスに踏み出すことに怯えをもたらしていたのである。
恵子と今泉が旅行したことをなぜ晴香は私に話したのか。自分に願望があるからだろうか。きっとそうだと思いながら、行動に躊躇がまとわりつく。
晴香が時計を気にしている。彼女のために時間を気にかけるのは私の役目である。
「そろそろ帰る?」
晴香は返事をしなかった。煙草の煙の向こうに沈んだ晴香の顔があった。