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栗花晩景
【その他 官能小説】

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早春編(1)-4

 私が子供の頃、それは昭和三十年代から四十年代にかけて、世の中の性の情報量がどれほどのものだったのかはわからない。しかし、インターネットをはじめ、氾濫する現在と比較したら皆無に等しいものであっただろうことは容易に推察できる。漫画や雑誌も健全で、テレビも家族全員で観るもので、たまに西部劇でキスシーンがあると恥ずかしくて目を伏せるような時代であった。
 むろん、大人には『その世界』が存在していたのだろうが、それは子供の目に触れることはほとんどなかった。だから知識が貧困で脈絡がなく、成長するにつれて体の変化を自覚してもそれが何を意味するのか、頭と体が結び付かなかった。ただ、男と女の間に何かがあることが妄想の中にぼんやりと投影されるばかりであった。

 体格のいい級友には昼間でも勃起する者がいた。
「おっ立っちゃった」と股間を押さえて笑っていたが、おそらく具体的な性行為を理解してはいなかったであろう。


 中学に入ってほどなく、『月経』という言葉を知った。今では考えられないことだが、当時古い校舎では、一時期、一年生だけ男女兼用だったことがある。しかも水洗ではないので便壺が見えるのである。
 ある時何人かの男子がトイレを出たり入ったりしながら「ゲッケ、ゲッケ」と騒いでいた。一緒になって中を覗くと血に染まった紙が見えた。その血が『ゲッケ』というものなのかと思ったが、意味までは理解できず、私もみんなの中に入って「ゲッケ、ゲッケ」と口にしていた。どうやら女が出すものらしい。どういうものか知りもしないのになぜか生臭い感覚を覚えた。女子たちが顔を赤くしていたのを憶えている。
『ゲッケ』が『月経』であり、意味を知るのは少し後のことである。

 夏を過ぎた頃から仲間内で性の話が多くなってきた。体の成長の足並みが揃ってきたこと、社会の性表現の自由が広まってきたことが主な要因といえる。とはいえ、DVDはおろかビデオもない時代である。私たちは男性向け週刊誌を胸をときめかせて読み漁り、おり込まれたヌード写真に夢中になったものだ。

 何人か集まると様々な情報が飛び交った。すべて伝聞であったが、刺激的なことばかりであった。
「オ○○コにチンコ入れると子供が生まれるんだ」
「どうやって入れるんだ?」
「開くらしいよ。いざって言う時に……」 
幼い頃、銭湯で見た子供の陰部しか思い浮かばなかった。それはオシッコが出るだけの隙間しかないように思えた。
(あれが扉のように開くのだろうか……柔らかいから入るのだろうか……)
自分のペニスを見つめながら想像が巡り出すとそれだけで昂奮が起こる。トレパン姿の女子を目で追いながら、気がつくといつも彼女たちの下半身を見ていた。勃起は頻繁になっていたがまだ発毛は見られなかった。

 二年生になってクラス替えがあった。古賀隆との出会いが待っていた。思春期の迸る性の息吹は彼の影響によってさらに活気を帯びたことはまちがいない。

 古賀隆……。風貌はいかにも生真面目な秀才に見えた。小柄で額が広く、黒ぶちの眼鏡をかけて本を読んでいる姿は中学生にもかかわらず学者の雰囲気すら感じられた。いつも物静かで、はしゃいだり走り回ったりするのを見たことがない。運動は不得意のようだったが、こと勉強となると図抜けていた。学年でもトップクラスの成績だということは後で知った。教師の指名で学級委員を務めていたのは学業成績によるところだったのだろう。


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