その(五)-5
私の心は荒んでいたのかもしれない。
(舞子に会えない……)
もどかしく哀しい現実が心に刺を芽生えさせていたのかもしれない。美穂にぶつけた殺伐とした欲情は性欲の刺であった。愛ではなかったが、その刺は舞子への想いが変形したものだといっていい。身勝手であっても彼女への愛を抱きしめていて、前に向かって生きている証しでもあった。
しかし、七月のある日、私はその『刺』を一瞬にして失った。
(舞子が死んだ……)
国立公園内の山で滑落死したという。日本人留学生の事故はテレビでも流れ、小さな新聞記事にもなった。その一報の一週間前、彼女から私宛に絵葉書が届いたばかりであった。一通目は六月に、
『達っちゃん、勉強すすんでますか?私はけっこう英語がうまくなりました』
シアトルの街並みのイラストであった。
今回は何も書かれていなかった。
失意の底にいても時は流れ、日々は続いていく。心の痛みはいつか薄れ、騒がしい日常の中にいることが妙に新鮮に感じられるようになり、やがて無感覚になっていった。それは傷が癒えたというより、舞子の存在が少しずつ思い出の世界に納まっていったということなのかもしれない。忘れることは出来ないが、心の空洞は新しい出来事で徐々に被われていき、それが生きていることであった。
大学生となった夏、両親がいつになく重苦しい面持ちで舞子の三回忌の話を私にし始めた。
「来週の日曜に甲府でやるんだけど、お前も行く?」
(なぜ?)という疑問が浮かんで両親の顔を交互に見つめた。なぜなら、私は舞子の死後、葬儀にもその後の法要にも一度も参列していないのである。
伯父と伯母の意向で内輪だけで済ませたい。
「だから他の親戚も遠慮してもらってるんだって。辛いんだよ」
通夜、葬式には父と母だけが出かけていったのである。私は家に一人残って何度も嗚咽した。
(こんな別れがあるだろうか)
それが今になってどういうことだろう。
「ぼくが行ってもいいの?」
「よかったら達也も来てって、言ってきたんだよ。ようやく気持ちの整理ができたのかね」
「舞姉ちゃん、なんでアメリカに行ったのかな」
両親に問うともなく訊いたのは、いまさらではあるが古い疑問を口にしただけであった。
「行かなければ事故に遭わなかったのに……」
父親がふっと溜息をついた。
「事故かどうか……」
父と母は顔を見合わせ、戸惑いを見せた後、重い口を開いた。
「お前ももう大人だから話すけど……」
それは衝撃的な内容であった。
「展望台の柵を自分で乗り越えたって目撃した人がいたらしい」
「じゃあ……」
「結局、はっきりとしたことはわからなかったの。舞ちゃんね、大学落ちたあと、結婚したい人がいるって言ったんだって。相手のことは言わなかったんだけど、まだ進路も決まってない時だから伯母さんたちも怒っちゃって」
激しい口論の末、
「舞ちゃん、自分でやっていくって、一人で決めたみたい」
父は黙って煙草を吸っていた。
「それでああいうことになったんだけど、あの子、おなかに赤ちゃんがいたの……」
「!……」
「どんな想いだったんでしょうね……」
言葉を失って、私は項垂れて動揺を抑えていた。
部屋に戻った私はノートに挟んでおいた絵葉書を取り出した。
(舞子が手に触れた、たった二通の絵葉書……)
私の手元にはそれしかない。
『達っちゃん、勉強すすんでいますか?……』
行かなければ……。もっと早く帰って来ていれば……。
二通目のハガキの写真はグランドキャニオンである。興味もなかったのでじっくり見ることもなかった。
(舞子はここへ行ったのだろうか……)
しばらく眺めているうちに自分の鼓動を聴いた。
(なんだ?これは……)
右下の隅に薄い小さなアルファベットの文字。印刷だとばかり思って気にも留めなかったのだが、よく見ると細い鉛筆で書かれた手書きであった。胸騒ぎのように気持ちが揺れ始めた。
『tatuya komatta dousiyou 』
背中に戦慄が走った。
(達也 困った どうしよう……)
(舞子……)
舞子は妊娠を自覚したのだ。きっとそうだ。たった一人でどんな不安な想いでいただろう。
(だからといって、まさか……)
帰って来てくれれば一緒に生きていけたんだ。涙があふれて止まらなかった。
何気なく一通目のハガキを見てそこにも薄い文字を見つけた。小さな文字。
『tatuya aisiteru』
「舞子、舞姉ちゃん……愛してる……」
ハガキにはニオイもなく、感覚も甦ってこない。いくら思い出そうとしても彼女の妖しい眼はぼやけてしまっていた。