変化-3
翌朝。
朝食を終えて浩二を見送った後、美香はずっと携帯電話と睨めっこを繰り返していた。
絶頂を味わえず、火照った体。
斉藤を忘れるどころか日に日にあの日の事を思い出し、欲に負け理性を失い斉藤に電話しようか。
発信ボタンを押せば繋がる。だが押した瞬間もう逃げる事はできない。
これ以上愛する浩二を裏切りたくない気持ちと、このままだとずっと満たされる事のない体。
やはり斉藤に会いに行くべきでなかった。
たとえ脅され浩二にバラようとも過去は過去。ちゃんと話せば浩二も理解を示してくれたかもしれない。
そうすればこんなに悩む事もなかったはず。
本当にそうか・・?
それはただの口実で満たされない体を斉藤に求めたのでは・・?
予想以上に斉藤は美香の身体を満足させた。自分に流れるマゾの血を理解する男。
そんな二人の自分が戦い、何も手につかずただ携帯電話を見つめ何時間も経過していた。
「はぁぁ・・私、どうしたんだろう。浩二を裏切るなんてできない。
このまま、我慢すればいいじゃない」
一度携帯を離し、干していた洗濯物を取り込む。
洗濯物を畳み終え、思い出したように携帯を眺めていると、メールを知らせる着信音が鳴り響いた。
「さ、斉藤・・?」
その一言に期待と不安が含まれていた。
慌てて受信箱をチェックすると、いつも購入している化粧品メーカーからの宣伝メールだった。
「もう、こんな時に紛らわしい・・」
いつもなら新しい化粧品が出てないかチェックするのだが、今はそんな余裕すらなかった。
「今から来いよ。身体が疼いてしょうがないんだろう?」
そんなメールが来るのを期待していたのかもしれない。
もう一度斉藤の電話番号を呼び出し発信ボタンを押そうか・・悩む。
「浩二にバレなければ・・」
「もう一度だけなら・・」
そんな考えだけが頭を支配し、いけない事とわかっていても発信ボタンを押す手を止める事はできなかった。
プッ、プッ、プッ・・トゥルルルル・・・トゥルルルル・・
すぐに出るだろう。と、思っていたが呼び出し音が鳴り響くだけ。
何度目かの呼び出しの後、通話に変わる音。
「あっ、わたし・・」
「留守番電話サービスに接続します・・・」
斉藤だと思い声を発したが、本人ではなく留守電に繋がるガイダンス。
メッセージを残す事無く電話を切った。
すぐに出て、「へへっ、やっぱり電話してきたな。待ってたぜ」
そんな事を言われると思っていた。
いや、そう言って欲しかった。
覚悟をもって、した電話だったが、肩すかしをくらったように一気に力が抜けた。
「ふぅ。これでよかったのよ」
これで人の道を外れずに済んだ。愛する夫を裏切る事無くこのまま平穏に・・・
自分からあの日あの時だけと釘を刺した。斉藤も了承していた。
今さら電話をしたところで・・・
「やっぱりもう一回だけ」
これで出なければ本当に諦めよう。
もう一度発信をする。斉藤が出ることを祈って・・・
だが、結果は同じだった。
斉藤は電話には出ず、留守電に切り替わるガイダンスが空しく流れる。
次は出ると思っていた。そんな気がしていた。斉藤の事だから一回目はわざと無視して・・・
そんな自分勝手な期待も外れ、急に悲しくなる。
「本当にあの日だけ・・・だったの?」
もう2度と会えない事に不安と寂しさが込み上げてくる。
浩二では満たされず、斉藤を求める身体だが知らず知らずのうちに心までも斉藤に支配されようとしている事に美香はまだ気づいてなかった。
しばらく携帯を見つめていたが、やがて諦め夕食の買い物にいつものスーパーへ出かけた。
買い物を済ませスーパーを後にする。
ふと、駐車場で斉藤と再会した事を思い出す。
あの日、会わなければこんな気持ちにならなかった。
まだ旦那にバラされたくなかったら毎日家に来い。と、脅されている方が気が楽だったろう。
今は美香自身が斉藤を求めている事に気づいてしまったのだ。
ところが、当の斉藤とは連絡が取れず、余計にその気持ちは募ってしまう。
心ではなく身体が、斉藤にめちゃくちゃにされたい。と、訴えていた。
「バカバカ・・私のバカ・・浩二がいるのに・・あいつの事なんか好きでもないのに」
気がつくと携帯を見ては着信がない事実にため息が漏れる。
元気なく下を向いたまま車に乗り、自宅へと走らせる。
「クククッ。あんなに携帯を見つめて・・そんなに俺からの電話が待ち遠しいか?
もっとだ。もっと俺の事を考えるんだ・・・」
スーパーに来てからずっと尾行していた斉藤は元気のない美香に声をかけず、間違いなく自分を求めている事を確認した。
すべては斉藤の思惑どおりに事が進んでいた。
帰宅後、できるだけ斉藤の事は考えまいと、夕食の準備を始めた。
魚の下処理をし煮詰めていく。
台所に美味しそうな甘い香りが漂う。
「もう少しで帰ってくるよね」
時計を見つめた時、美香の携帯が鳴り響いた。
「も、もしかして・・」
斉藤から・・?
すぐ携帯を取り画面を見る。斉藤からの電話だと思った。が、浩二からだった。
「も、もしもし。浩二。どうしたの?」
「あぁ。電車が遅れてて、少しだけ帰るの遅くなりそうなんだ」
10分か15分遅れるだけなのに、心配かけまいと連絡をしてくる浩二。
浩二に限って浮気の心配はないと思っていたが、本当にそうだろう。
それほど美香の事を愛している証拠だった。
それに引き替え・・まさか自分が・・しかも昔の男を・・
「うん。わかった。気をつけて帰ってきてね」