『SWING UP!!』第11話-21
『響も、仏の子ですから』
周囲には相当な反対をされたらしいが、頑としてそれを聞かなかったそうだ。
楓と響は、半ば血の繋がった“きょうだい”であるから、歳は少し離れていたが、その仲はとても良く、母子三人は、裕福ではないが幸福な時間を過ごすことが出来た。
やがて楓が、僧侶となることを志し、周囲の協力を得ながら、地元の“法泉印大学”に入学・卒業して、念願の僧籍を手に入れた矢先に、不幸な出来事が起こった。母親の急病死である。
身寄りが他にない二人が、途方に暮れる中、降って沸いたように持ちかけられたのが、その“安広寺”の御院となった研究家と楓との“縁談話”であった。楓は、自らが僧籍を得ていたこともあり、この縁談話を受けることに躊躇は無かった。面識はあったし、その研究家の朴訥とした雰囲気に、惹かれていたこともある。
だが、結婚をするにあたって、彼女の中で一番心配だったのは、響のことだった。
『貴女の妹ではありませんか。私にとっても、大事な家族です』
幸いにして“安広寺”には、宿坊がある。響を連れてきたとしても、なんら問題はないし、当然のことながら、御院となった研究家は、妻の縁者である響を邪険にすることは考えもしなかった。“僧になりたい”と言い始めていた響の将来を考えて、“許婚者”を早いうちから寺に連れてくるほどだった。
楓と響は、“安広寺”に居住するようになり、御院である研究家を様々な形で支えながら、新しい家族の絆を育んでいった。
しかし、その幸せも、長くは続かなかった。楓と響が、“安広寺”にやってきた、その６年後…。御院である研究家が、事故で急逝してしまったのである。
またしても失ってしまった、幸福な家族の形。しかし、楓は気丈にも、御院の座をすぐに引き継いで、夫が残した“安広寺”を護っていこうと意を決した。まだ三十にもならぬ若い身空であるから、“安広寺”から離れてはどうかという声もあったが、楓はそれを聞き入れるつもりはなかった。
夫との間に、血筋を継ぐことは出来なかったが、“安広寺”を通じてその志は継いでいける。楓にとって、この“安広寺”こそが、夫の遺してくれた紛れもない“現世での幸福の証”なのである。
「そんな、昔話です」
上記の内容を、ある程度は伏せながら、楓は物語っていた。そうすることで、この“安広寺”を再興させた夫の事績とその人柄を、風化させることなく人々の間に継いでいけると、彼女は考えていた。
「………」
誰もがその話を静かに聴き、そして、感銘を受けていた。
「これも、ひとつの、愛のカタチなのですね…」
「や、そう言われると、照れますな」
楓の表情が、やや色を生んだ。“愛”とはっきり言われたことが、楓にとっては新鮮でもあった。
深く息をつき、少しだけ波立った心を落ち着ける楓。ほんのわずかな沈黙を置き、再び彼女は物語を繋げていった。
「実はこの“安広寺”には、御堂がふたつありまして、上の宿坊をご覧になったかと思うのですが、もともとそこは、別院だったところでもあります」
「なるほど…」
桜子、大和、結花、航の四人が泊まることになった場所は、もとは別の寺院だったというのである。
「近い将来、別院はこの二人に譲るつもりです」
「……と、いうことは」
「ええ。二人は、“許婚”です」
学業の修了を待って、二人を娶わせて、別院にて独立させる。そんな先代御院の考えも、楓は引き継いでいた。
「すみません。随分と、身内の話をしてしまいましたね」
「いえいえ。ゴインさんは、そうすることで、わたし達にも“witness（証人）”になってもらいたかったのでしょう？」
「お見通しでしたか」
「sure」
そうでなければ、当事者である響と隼人をこの場に居合わせた中で、はっきりと将来の展望を告げたりはしないだろう。
「安心してください。まちがいなく、わたし達は、“witness”となります。イッシュクイッパンの恩にかけて、また、よきライバルとしても。…ＯＫ，everyone？」
「「「Ｓｉｒ！！」」」
目の前にいる三人が、明日対戦することになる、法泉印大学・軟式野球部の関係者であることは、既に解っている。隼人は、“最強の左腕”と名高いエースであり、響は、“長尺バットの最小選手”と畏怖される４番打者で、そして…、
「ふふふ。私も、チームの監督として、明日の試合は楽しみにしていますよ」
楓は、そんな二人を軸にした、法泉印大学・軟式野球部の監督を務めているのだ。その座もまた、亡き夫から引き継いだものである。
歴史研究家であり、かつ、野球愛好家でもあった夫の影響で、楓だけでなく、隼人と響も、幼い頃から野球に親しむ環境を得ていた。境内の中でボールを追いかけるのはもちろんのこと、五十段の階段を上り下りすることで強靭な足腰とスタミナを、御勤めによる精神修養を通じて集中力を、二人はそれぞれ養ってきた。日々の生活が既に、トレーニングの場となっていたのだ。
選手として二人が揃った昨季の快進撃は、宿願であった初の“総合優勝”という形で結実した。夫の願望でもあったそれを成し遂げた二人を、楓が誇りに思ったことは言うまでもない。
「あなたたちは“champion”、わたし達は“challenger”です。ですが、負けはしませんよ。全力で、勝ちにいきますからね」
「望む、ところです」
エレナと楓の交錯した視線に、火花が散っていた。
「「………」」
楓がここまで表情を豊かにしているのは、身内である隼人と響にとっても、随分と久しぶりな気がした。