『SWING UP!!』第10話-22
「どうしたの、桜子?」
試合が終わり、“蓬莱亭”に帰ってきた桜子。由梨は、今日は調子がいいようで、久しぶりに自分で調理をした夕飯を、桜子の前に用意していた。
「なんだか、心ここにあらず、ね」
試合には、勝ったんでしょ? と、由梨は続けた。
「あ、うん。勝ったよ」
「なら、どうして、そんなに浮かない顔なのかしら?」
いつもなら、既にどんぶり一杯の御飯は、空けているはずである。それが、半分も残っていると言うのは、桜子が何か、思い病んでいることがある証左だ。
「大和君のこと?」
「う、うん」
桜子が悩むとすれば、それは、大和のこと意外にはない。由梨は、二人の間にある強い絆を感じながら、実は、まだ若々しい危うさも感じているところがある。
「試合中は、いつもの彼だったの。ううん、いつもよりずっと調子がよかったぐらい」
なにしろ、投手としては完璧な結果とも言うべき“完全試合”を達成したのだから。
「でも、試合の後、急に様子がおかしくなった」
何処か、物思いに耽っている、そんな雰囲気だったのだ。桜子の問いかけに、笑顔を浮かべながら応えてくれてはいたが、今まで感じたことのない“陰”のようなものを、その中に桜子は見つけていた。
「………」
「あたし、大和のこと、全部知ってるつもりでいたけど、そうじゃないのかもしれない…」
大和が抱えている“陰”は、右肘の故障だけではない。もっとその奥深くに、桜子にも言えないような、解消し切れていない何かを、彼は抱えているのかもしれない。
「あたしにも、言えないことが、きっと彼にはあるのかも…」
「桜子」
由梨は、少しだけ沈黙の中に思考をまとめ、不安な様子を明らかにしている妹に、諭すように言葉をつむいだ。
「私も、龍介さんの全てを知っているわけじゃないわ」
「え…?」
「あの人が、この家に来るまで、私と一緒になってくれるまで、天涯孤独の身の上だったことは知っているけれど、過去に何があったのか、話してくれたことは一度もないわ」
「そ、そうなの?」
由梨は、静かに頷いた。
「正直、聞きたいことはたくさんある。でも、私は、今の龍介さんを愛しているの。過去に何があったのかは、少しも関係がない」
「あ、愛…」
何故か照れたのは、桜子の方だった。
「私にたくさんの幸せをくれる、そんな龍介さんを愛している。それだけで、私には十分なのよ」
由梨は、新しい命が宿ったお腹に手を当てる。それもまた、龍介が与えてくれた、由梨にとってかけがえのない幸せの一つなのである。
「大和君にだって、知られたくない過去はあるでしょうね。でも、それがあるからと言って、桜子は今の大和君のことを嫌うのかしら?」
「き、嫌うって!? そんなことしない!!」
桜子は強い口調で、由梨に食って掛かった。
「あ、ご、ごめんなさい」
そしてすぐに、詰るような言葉尻になってしまった自分を卑しみ、俯きながら姉に詫びた。
「ふふ」
由梨は、感情を顕にした妹の様子に、むしろ安心したような、包容力の溢れる笑顔を見せていた。