サプライズ・カウンター-5
―時計は午前3時。この日は平日にしてはお客様が入った方で、常にテーブル席が埋まっていた。しかし、いつもよりも客足が早く引け、オマケに雨が降ってきた為、早仕舞いをした。
長くかかった後片付けが終わり、美樹ちゃんが店を後にする。
私は売り上げ計算と明日の発注の為、店に残っていた。
…ザーッ!
外から激しい雨音が聞こえる。
《あの日も、こんな雨だったなぁ…》
知らないウチに、そんな事を思い出していた。
《ナオさん…》
彼の事を考えたら、心の中が苦しくなった。あれから、彼の事を考えるといつもこうだ。
《でも…》
そう。彼はこの店のお客様。私が特別な感情を抱いても、表に出さなければ問題はない。しかし、彼にそれを押しつけたり、迷惑になったりしたらいけない。それこそ本当に、二度と店に来てくれない、二度と顔を見れない、そんなシュチュエーションになってしまう。それが恐かった…
『はぁ〜っ…』
『何や、情けないため息ついて。』
聞き慣れたニセ関西弁。彼だった。
『ナオさんっ!』
扉は閉めていた。しかし、彼が入ってきたのに気が付かなかった。
『よおっ!久々やなぁ。中、エエか?』
振り向いた私。直立不動のままだった。鼓動が早くなる。
『なぁ、ズブ濡れなんやけど…』
『あっ、すいませんっ!ちょっと待ってて下さいっ!』
急いでカウンターに入り、タオルを探す。
…プシュッ!
いつもの音。立ったままビールを飲んでいた。
『ナオさん…』
『ん、まだ閉店10分前やろ?それよりタオルっ!』
少し嬉しかった。いつも通りの彼。棚からタオルを取り出す。
『ナオさん、椅子。』
彼を座らせ、濡れた衣服を預かる。それを椅子にかけ、タオルで叩く。
『擦ったりしたら、かえって水がしみ込んでダメなんですよ。』
『ほぉ、よぉ知っとるなぁ。エエ嫁さんなれるんちゃうか?』
聞き流せない言葉。変に意識する。またドキドキしてきた。
『テキトーでエエよ。お前も飲むか?オゴったるわ。』
冷蔵庫を開けながら、彼が言った。隣の席に座る私。
『ナオさん…』
『ん、何や?』
…プシュッ!
ビールを開けてくれた。
『この間の人、誰なんですか…?』
もう、止まらなかった。とにかく気になる、それだけだった。
『それ聞いて、どないすんねん?』
案の定、尖った返事が戻って来た。
『ナオさんはお客様です。お客様のプライベートに足を踏み入れちゃいけない事は分かってます。』
『分かっとんなら尚の事や。何で聞くんや?』
『それは…』
沈黙。何も言えなかった。言うのが恐い。聞くのが恐い。それだけだった。
『……』
『しゃあないなぁ。言うたるわ。アイツはなぁ…』
『ごめんなさいっ!!』
とっさに口を開いた。
『ごめんなさい…ホントはそんな事、聞いちゃいけないですよね…でも、でも私…』
心臓がバクバクしてる。普段の二倍以上の速度に思えるくらいだった。今、病院に行ったらすぐにでも入院させられるだろう。
『私…ナオさんが好きなんですっ!』
言っちゃった…
死にそうなくらい、恥ずかしい。このまま消えたい。そう思った。
『リン…』
『私、ずっと気になってて…あの女の人と、ナオさんとの関係が…ナオさんの彼女だったらって思うと…』
『リン…俺かっ!?』
『えっ…』
『お前が惚れとる男って俺の事かっ!?』
不思議な空気が流れる。お互い、状況が把握出来ない。
『実はなぁ、美樹ちゃんから電話もろて。何か、男の事で悩んどるみたいやから、相談乗ったってって…』
『えっ!?美樹ちゃんがっ!?』
『そいで、ついさっき和哉から同じ様な事言われてなぁ。せやから今日、ココ来たんや。』
やられた…
あの二人の計画的犯行だったとは…
完全に掌の上だった。頭を抱える私。
『せやけど…』
気まずそうに言う彼。
『せやけど俺、こんなヤツやで。ホンマにエエんか?』
予想外の返事。でも、一番嬉しい返事。
『ナオさん…』
『尚之や。もう、閉店時間過ぎとるやろ?』
微笑む彼。そっと抱き締められた。私も彼の背中に手を回す。
『冷たい…』
『当ったり前やろ。ズブ濡れなんやから。』
湿ったワイシャツ。髪の毛も濡れていた。
『ナオさん…』
『尚之や言うとるやろっ!こりゃ、罰ゲームやな…』
静かに唇が近づく。目を閉じて、受け入れる私。
…ぬちゅ、ぴちゃっ、くちゅ、ぷちゅ
温かい舌。絡まって離れない。
彼の頭に手を回す。もう待ちたくない、離れたくない、そんな気持ちでいっぱい。