『望郷ー魂の帰る場所ー第一章……』-3
その日の夜……
繁華街の雑踏でその男は獲物を見つけた。
「へへっ、久々の上玉だな、ありゃあ……」
一定の距離を保ち、男は獲物の後を追う。男に狙われている事など気付かず、少女は繁華街を抜けて薄暗い公園に入って行った。それをチャンスと見たのか、男は足早に距離を詰める。辺りに人気が無い事を確認すると、背後から襲い掛かり草むらへと引きずり込んだ。
「無用心だぜぇ、お嬢ちゃん……。一人で夜にうろうろしてると、こーんな怖い目に会っちゃうんだよぉー。授業料がわりに気持ちイイコトしてやっから、大人しくしてろよぉ?」
男は彼女を組み伏せて舌なめずりをした。少女は微動だにせず下から男を見上げる。
「怖くて声も出ないってか?大人しくしてりゃ乱暴にゃしねーよ。へっへっへっ」
なおも少女は動かない。しかし、恐怖で動けないのではない。何故なら、その体は少しも震えてなどはいなかったからである。
「へへっおかしなお嬢ちゃんだぜぇ……。そーゆー趣味があんのか?こりゃ都合がいーや。たっぷり愉しもうぜぇ……」
男は少女が抵抗しないと踏んだのか、組み伏せていた手を離し両手で女の胸を揉み始めた。
「お嬢ちゃん、案外デケェ胸してんじゃん。なぁ、少しは気分出せよ、つまんねえぜ?」
男の声に反応する様に、初めて少女が動いた。両手をそっと男の手首に添える。そして、ゆっくりと唇が開き静かに一言喋った。
「離せ下郎……。気安く触るな。」
少女の瞳が赤く輝き、さほど力を込めたとは思えない指先は、難無く男の手首を砕いた。絶叫を上げ、のたうちまわる男を尻目に、少女は立ち上る。
「やっと、この身体にも慣れて、本格的に捜そうと思っていたのに余計な事で時間を喰ってしまった。仕方あるまい、今夜は戻るとするか……」
そう言って、何事も無かった様に暗闇に姿を消した。
同時刻、入浴を終えた宏行は、突然襲う痛みに顔をしかめた。
「くっ!まただ……」
ここ2、3日程前から、宏行は奇妙な現象に悩まされていた。時刻こそバラバラなものの、夜になると決まって痛みに襲われる。時間は短く、さほどの激痛という訳でもない。部屋の鏡を覗き込み、自分の身体を見た宏行は、大きく目を見開いた。
「何だ!これは!!」
鏡の中の宏行の首に赤い筋が走っている。それはまるでネックレスの様に首周りを一周していた。しかも、今にも血が流れ出すのではないかと思う程に筋は赤くはっきりしている。
「何なんだ一体……」
宏行の頭に言いようの無い不安がよぎる。まるでこれから不吉な事が起きる予兆を指し示すとでも言うのであろうか?しばらくして奇怪な痣が消えた後も、宏行の心に残った不安は消えなかった。
「どーしたよ宏行?朝っぱらから暗い顔して。」
学校に着いて、椅子に座る宏行に彰人が話し掛けた最初の言葉はそれだった。
「…別に……」
たった一言答えて宏行は口を閉ざす。昨夜の出来事を上手く説明出来そうに無いし、話したところで到底信じて貰えそうに無いと思い、宏行は何も語らなかった。
「何だよ、テンション低いなぁ……。それよかさ、駅前に新しいカラオケ屋が出来たんだってさ。明日、休みだし久々にオールで行かねぇか?」
元気の無い自分を気遣い、遊びに誘ってくれる……。そんな彰人の優しさが宏行は嬉しかった。しかし……
「悪い彰人。せっかくだけど今日は止めとくよ。」
気分転換に出掛けるのもいいかなと一瞬思ったりもしたが、彰人のいる前でまたあの現象が起きたら……。そう思うと、とても宏行は出掛ける気にはならなかった。
「そうか……。じゃあ、しょーがないよな。なぁ宏行、あんま一人で溜め込むなよ?よくわかんねぇけど……」
「ゴメン、でもありがとな……」
「いいって別に……。誰か誘って行くからさ。」
そう言って彰人は肩をすくめると自分の席に戻って行った。そして、学校での一日が始まる。憂鬱な気分は時間が経つのを遅くさせるのだろうか、放課後までの時間が宏行には気が遠くなる程に長く感じていた。HRを終えて帰り支度をしている宏行の側に真冬がやって来る。
「ねぇ宏行、帰りに少し付き合ってよ。何だか知らないけど、お腹減っちゃってさ……。ダメ?」
「構わないよ。でも、お前昼も結構食べてたよな?調子に乗ってると太るぞ?」
言ってから、しまったと宏行は慌てて口を押さえた。が、すでに手遅れだったらしく、真冬の頬はみるみる膨らんでいく。
「宏行君?女の子にそーゆーコト言ってはいけないのよ?」
「う…。あ、ゴメン」
「いいえ、許しません!あたしの心は酷く傷付いたわ……。立ち直るには、ラーメンライスと餃子が必要みたい。」
そう言って真冬はニヤッと笑った。真冬の言葉を唖然として聞いていた宏行だったが、口許がヒクヒクと引き攣り始め、やがて
「プッ……くくっ……あははは!!」
大きな声で笑い出した。
「た、確かに重大問題だな。くくくっ、お詫びに喜んでご馳走するよ。」
身をよじり、うっすら涙さえ浮かべて苦しそうに宏行は言った。それにつられる様に真冬の顔も次第に笑顔に変わり、クスクスと笑う。
「よかった……。やっといつもの宏行に戻った。ね、二人で美味しいもの食べに行こ!あ、もちろん宏行のオゴリでね?」
「ちゃっかりしてるな。じゃあ、行こうぜ。」
さりげなく気を遣ってくれる友達に、さりげなく元気づけてくれる彼女……。
不安が解消された訳じゃないし、原因が判明した訳でもない。しかし、今はその事を考えるのはよそう……。机の上の鞄を抱えると宏行は学校を後にした。