ROB-10
「それで,振り込みはいつになりますか」と,ヤマダ。
「明後日には必ず。相当な額らしいから,桁を間違えないように。」と,瀬谷。
俺はヤマダを横目で見てみる。微笑を浮かべていた。俺も同じ気持ち。金が入るのは誰しも嬉しいもの。例え人を殺したとしても,金さえ入れば,そんなこと無関係。
よかった。
やっぱりヤマダもそう思っているのか。
そうだよな,今更古株が罪悪感なんざ感じるかよ普通。
ヤマダはカップを口に運ぶ。
対して俺は持っていたカップを置き,瀬谷を見据える。
「次の仕事はいつですか」と,問うた。
「そうね。今のところ,今週の仕事は全部,他のメンバーが片づける予定になっているから……」
突然横から,素早くカップを置く気配を感じ取る。
「瀬谷さん,この間こいつが持ってきた仕事のこと,忘れてませんか。」瀬谷の答えを遮って,ヤマダが言った。
「ああそうだったわね」と,瀬谷が一言。一瞬の間の後,手元のキーを破竹の勢いで打ち始める。
「珍しいですね,瀬谷さんがうっかりするなんて,」きっと忙しすぎるのだろう,と思いつつ俺が言う。
ROBは結構大きな組織なのだ。今日はたまたま居ないが,いつもならここに沢山の少年がいる。その全てのメンバーの仕事の管理を,彼女ひとりで行うのだから多忙極まりないのは当たり前。
もしかしたら,ボスはかなり薄情な奴なのか。
それとも案外ケチな奴で,経費削減の為に雇わないだとか。
ROBなら秘書一人雇うくらいの金,なんとかなりそうなものだけれど。
俺よりも古株のヤマダなら,その事情を知っているのかもしれない。
ちらりと,ヤマダを見てみる。彼は,ぼんやり自分のカップを見据えていた。何を考えているのだろう。未だに,こいつの気持ちは読みとれない。ヤマダは,俺の気持ちを読みとれるのだろうか。彼の,底が剥き出しになったカップの中を眺めながら,俺もつられてぼんやりする。俺のカップも空だから,手のやり場に困る。
「コーヒーのお代わりが欲しいのなら,悪いけど自分でついでもらえるかしら。今手が放せないの。台所,勝手にいじっていいから。」
俺の視線に気づいたのだろうか。瀬谷はパソコンの画面を睨みつけながら早口で言った。
キーを打ちながら,俺の視線の先をあてるとは。
さすがROBの秘書,瀬谷。
やはり,彼女以外の秘書は考えられないかもしれないと思いながら,立ち上がろうとしたとき,ヤマダの手が俺を制した。
確かに,彼の方が台所に近かった。俺は彼の笑顔から急いで目を逸らし,座り直した。
「ああ,立ち上がったついでにヤマダ君。」
瀬谷の声に,薬缶の蓋を持ったヤマダが返事をする。
「それが終わったら,ちょっとこっちに来て頂戴。ボスに最後の挨拶をするのよ,」
最後の挨拶? ヤマダを見ながら俺は,小首を傾げる。
「メールでいいんですか,」苦笑を浮かべながら,瀬谷に問うヤマダ。
「分かっているくせに。メール以外に,どういった手段で挨拶するつもりだったの,」
ガチャ。
ヤマダの乾いた笑い声と,薬缶の底がコンロにぶつかる音が,重なった。それを合図に,俺の口が割れる。
「何の話ですか,」
答えは直ぐに帰ってきた。淡々とした瀬谷の声が,耳の奥に転がる。
「何って,ヤマダ君の引退挨拶の話。」
引退挨拶?
一瞬,脳が空になったような,そんなありもしない恐ろしい感覚に捕らわれた。
2,3秒瀬谷に視線を留めてから,ようやくヤマダを見る。
無表情。
俺を真っ直ぐ,見据えている。
おい,何だよその顔。
というか,何だよ引退って。
俺たちは見つめ合う。随分長い間,そうしていた気がする。瀬谷のキーを打つ音だけが,いつもの空間と,この異様な空間をつなぎ止める唯一のものであった。
ヤマダが一歩踏み出す。
彼に隠れていた薬缶が,目に入る。
いつの間にか,焜炉に火がついていた。
青く激しい炎。
ふと,俺は何かを思い出す。
じっと,炎を見据えているとそれは見えてきた。
誰かがいる。二人,叫び声を上げ,必死にもがいている。
誰だっけこの人たち。
知っている気がする。
昔,何度も何度も会ったことがあるような気がする。
ずっとずっと,会いたかった人たち。
そうだ。この人たちは俺の……,
「お世話になりました,ありがとうございました,と。言ってください。」
ヤマダの声で俺は我に返る。見れば焜炉の火は,意外にも静かに燃えていた。
「何よ,それだけ,」瀬谷が顔をしかめる。
「だって,会ったこともないですよ。何て言えばいいんですか,」
ケラケラ笑いながら,ヤマダが元居た椅子に椅子に腰掛ける。