第35話 交わりの樹液-2
「睦美さん・・・・・。」
慶の言葉で、睦美もゆっくりと目を開けた。
「慶・・・・・。」
「睦美さん・・・僕は、いったい・・・いったい今まで何を?・・・・・。」
「ずっと、お母さんを呼んでいたわ・・・私に向かって何回も・・・何回も・・・・・。」
「え?・・・睦美さんの事をですか?・・・・・。」
「そうよ・・・何回も・・・覚えてないの?・・・・・。」
二人の間に今は、悲しみに駆られる姿は無く、嵐の後の静けさのような、平穏な空気が流れていた。
慶は、会話続ける中で、睦美に腕枕をしながら仰向けになり、天井を見ながら切り出した。
「確かに僕は・・・最初に睦美さんの事を母さんと呼んでたのは覚えてます・・・・・。でも・・・さっきまでは確かに母さんが・・・本当に母さんが・・・・・。」
「目の前に、死んだはずのお母さんでも居たの?・・・ふふ・・・・・。あなたは、ずっと私の事をお母さんだと思うあまり・・・本当に私の事がお母さんに見えたんじゃないの?・・・・・。それに色々とあったから、少し疲れてるのよ・・・・・。だから・・・つい私の事がお母さんに・・・・・。」
睦美も、視線を合わせる事無く、天井を見ながら、腕枕してる慶に寄り添いながら話した。
「でも・・・僕は確かにバラ園で母さんに・・・・・。」
「ふふ・・・バラ園って、おかしな話ね・・・・・。あなたは、ずっと今まで私とここに居たのよ・・・・・。そして・・・私と最後までね・・・・・。でも・・・その間は私の事を・・・お母さんとしてしか呼んでくれなかったわ・・・・・。結局、私は・・・最後までお母さんで終わったわけね・・・・・。」
睦美は、言葉の中で別れを感じて、少し表情は曇った。
しかし、気を取り直そうと、明るく振舞うように続けた。
「あっ!・・・だったらお母さんと寝た事になるわけね?・・・・・。どうだったの?・・・感想は?・・・・・。」
睦美は、思い出したかのように、慶の方を見ながら意地悪な質問をした。
「え?・・・そ・・・そんな別に僕は・・・母さんとなんて・・・・・。」
慶は、その質問に驚いて、睦美の方を見て視線を合わせるが、核心に迫られたようで、うまく答えられずにいた。
「うふ・・・冗談よ・・・また慶の、頭ガチガチ始まっちゃったね・・・・・。本当に、これ直さないと・・・これから彼女なんて、一生出来なくなっちゃうよ・・・・・。」
「でもね・・・本当は私怖かったの・・・・・。慶が他の誰か・・・亡くなったお母さんにでも、どこか連れて行かれそうでね・・・・・。だって・・・あの時の慶の顔・・・正気じゃなかったもの・・・・・。だからあの時・・・あなたの事強く抱きしめたんだよ・・・覚えている?・・・・・。」
『はあ・・・はあ・・・慶・・・慶!・・・慶は私だけの物!・・・絶対に・・・誰にも渡したくない!・・・・・。』
「あっ・・・は・・・はい・・・何となく覚えています・・・・・。」
睦美に問いだされると、あの時に同じように抱きつかれた記憶が、映像のように蘇った。
ただそれは、睦美としてでは無く、母親の陽子として抱きつかれていたのを覚えていた。
それを思うと、断定的には言えず、少し濁して答えた。
その中で、母親、陽子での事と思っていたのが、全て睦美の上で起きた事と、改めて実感させられていた。
全ては、死んだ母親の幻だったと・・・・・。
「でも・・・本当おかしいわよね・・・これから別れるのに、誰にも渡したくないだなんて・・・・・。」
「本当ですね・・・・・。」
二人は、この会話の後、再び天井を見上げては、しばらく沈黙していた。
睦美の言葉で、もう別れが近い事を実感していたからだ。
窓の外を見れば、日は沈み、夕闇だけが二人を照らしていた。
それでも、室内に明りは灯さず、暗闇の中で最後の愛を共有していた・・・・・。