第19話 絆-2
睦美は、前日に慶と肌を交わしておきながら、翌日は、同じ歳頃の翔太と家庭を囲むギャップに困惑していた。
翔太を前にしては罪悪感に駆られ、一人になると、つい慶の事を考えてしまう自分がやるせなかった。
睦美はたまらずポケットから携帯を取ると、慶に送信したメールを読んだ。
そう、昨日までは確実に求め合っていた二人が、今は一方通行のメールだけが虚しく残っていた。
睦美は、もう一度送ろうとも思ったが、自分の年齢を考えると野暮な真似はしたくは無かった。
ただ、今は、前日に交わした慶の温もりだけを思い出していた。
そして、何度もお互いを確かめるかのように、重ねた唇・・・・・。
睦美は、照明の光で皿に反射する自分の顔を見ながら、唇をそっとなぞった。
クローゼットのある部屋。
睦美は、入浴しようと身支度をしていた。
ここは、睦美のプライベートルームも兼ねており、絵画を描く時も利用していた。
そこには、画材なども置かれ、キャンパスに描き掛けの絵もあった。
睦美は、ポケットから携帯を取り出しデスクの上に置くと、寝間着を取ろうとクローゼットを開けた。
そこには、慶と会う時に持参したショルダーバッグも置いてあった。
それに目が行くと、なぜか寝間着を取らずに、ショルダーバッグを取りだした。
そして、ショルダーバッグを開くと、スケッチブックを取り出し開いた。
そのスケッチブックには、前日に慶から描いてもらった、睦美の姿が描かれた一枚の絵が挟まっていた。
睦美が、帰り際に慶から貰った物だった。
その絵を、睦美はしばらく眺めていた。
改めて見る精巧に描かれた絵に、自分に対する迷いが未だに信じられないでいた。
何本も描かれた線から、一つの線に導く手間を考えると、安易な気持ちで描かれたようには感じられなかった。
睦美も、絵画を嗜んでるからこそ、理解していた。
それと同時に、慶の絵に対する、真剣な眼差しにも惹かれていた。
そう、一つの才能に邁進する、青年の一途な夢の力に、自分がなれたらと思う時もあった。
ただ、思い過るのは、やはり歳の差から来る足枷だった。
全てにおいて、睦美の気持ちを躊躇させるのは、これだった。
『本当・・・もう少し早く生まれて、睦美さんのような女性に会いたかったです・・・・・。』
初めて、慶と会った時に言われた言葉が、どこか懐かしくもあり、今頃になって胸沁みる思いもあった。
睦美は、絵を見ながらしばらく余韻に浸っていた。
ちょうど、その時だった・・・・・。
ブ〜・・・ガタガタ・・・ブ〜・・・ガタガタ・・・・・
テーブルの上の携帯が、バイブレーターの振動で揺れていたのだった。
その携帯に目をやると、サブ画面に『慶』と表示されており、もちろん慶からのメールが受信されていたのだ。
睦美は、逸る気持ちを抑えながら、携帯を開いた。
そこには、件名は書いておらず、ただ一言・・・・・
『逢いたい』
・・・・・と書かれていた。
睦美は、その場に崩れるかのように膝を付いた。
そう、今まで抱え込んだ、不安や絶望感が一気に解放された瞬間でもあった。
その短い言葉ながらも、慶の一番の本質が伺えて、睦美は嬉しかった。
そして、今の睦美には、家庭を顧みるよりも、愛しく思う絵画にひた向きな青年に、飛び込みたい気持ちで一心だった。
睦美は、それを心に思うと、携帯を両手で強く握りしめて、胸元に手繰り寄せるように祈った。
同じ頃、アパートの一室。
キッチンの照明だけが付いた薄暗い部屋で、ベッドに腰を下ろしてたたずむ慶がいた。
その表情は無く、ただ何かを集中して一点を見つめるような感じだった。
そして、テーブルの上には、睦美に送信したばかりの折りたたまれた携帯と、数点の写真が抜かれた形跡がある、開かれたままのアルバムが置いてあった。
その抜かれた写真は、慶が母親と一緒に写っていた思い出の写真だった。
そう、慶に襲ってくる強烈な罪悪感は、『母親との思いで』だった。
睦美の事を愛しく思いながらも、その影に見え隠れする母親の存在が大き過ぎたのだ。
睦美との行為の中でも、サブリミナル効果のように散りばめられ、終わった後は母親を汚してる様な感覚にもなっていた。
睦美には、母親を意識してるつもりは無いと言っておきながらも、心の奥底では断ち切れない物があったのだ。
元を立たせば、慶の歯車を狂わせたのは、母親の死からだった。
母親との思い出を引きずりながら生きる事により、自分の殻から飛び出せ無いでいた。
その殻から出してくれたのが母親と歳も変わらぬ睦美で、愛しき女性だった。
その愛しく思う気持ちと交差する『母親との思い出を』断ち切るべく、慶は決心したのだ。
それには、今までの母親に注がれてきた愛情を考えると、並みならぬ葛藤があった。
それでも出した答えは睦美であり、愛して止まない、慶の初めての恋人になる女性だった。
クズかごを見渡せば、破られて引きちぎられた、小さい頃からの母親との思い出の写真と、その上には無造作に丸められたティッシュペーパーがあった・・・・・。
・・・・・慶・・・会いたかった・・・・・