「こんな日は部屋を出ようよ」前編-12
「中間試験の範囲は訊いた?」
「多分……この辺までです」
教えてくれた範囲は、一度やっているから、復習にはちょうど良い機会だ。
僕は何時もより、時間を掛けて指導を繰り返した。 記憶の深い部分に留めるには、問題に慣れるのが一番だ。
ルリは、何時ものように黙々と問題を解いているが、その表情には冷然さを感じなかった。
そう見た時、僕は思い切って訊いてみた。
「あのさ、渡したい物があるんだけど……」
僕の声にルリは振り向く。
血が逆上して、身体が熱くなるような感じがした。
僕は鞄に手を伸ばし、中から参考書を取り出すと、彼女に手渡した。
表紙が色褪せた参考書を、ルリは手に取った。 微笑みは無い、冷然とも違う、不思議な表情で見ていた。
「僕が、中学の時に使っていた物なんだ。 何かの役に立てばと思ってさ」
「ありがとうございます……」
ルリは小さく頭を下げて、机の本棚に仕舞ってくれた。
とりあえず、貰ってくれた事で僕は安堵した。
「ちょっと、煙草吸ってくるから」
安心したら、じっとりと汗ばんでいる自分に気がついた。
夜風に当たって冷まそうと思い、ベランダに出た。
「ふうーーッ」
夜風は冷たくなかったが、汗を乾かすには充分だった。
僕は、煙草を咥えて火を点けた。 紫煙がゆらぎ、夜陰に溶けていく。
薄明かりと静寂の中で、至福の一服を楽しんでいた。
すると、不意にベランダの窓が開いた。
部屋の中に居たルリが、降りてきたのだ。
「あの……なんだか暑くて」
彼女はそう言って、僕から離れた位置で遠くに目をやった。 僕も、視線を合わせること無く、煙草を吹かした。
気まずさを伴う、沈黙が辺りに漂う。
「あの……」
沈黙を破ったのはルリの方だった。
「な、何かな?」
「その、煙草って美味しいんですか?」
僕は返答に詰まってしまった。 質問の意図するところが、解らなかった。
「美味しいとは思わないな」
「じゃあ……何で吸うんです?」
僕は少なからず驚いている。 彼女がこんなに口を利くのを、初めて聞いた。
「そうだな、高校の時に覚えて以来、辞められなくてね。
吸うと、気分が落ち着くんだ 」
「そうなんですか……」
ルリは口を閉ざした。
薄明かりに浮かんだ彼女の顔は、何か辛そうに見えた。
「あの……」
ルリが再び口を開いた時、僕は耳を疑った。
「わたしにも、一本もらえませんか?」
『こんな日は、部屋を出ようよ』前編完